空白へとむかうみち[前編]

山本千愛
  • その他

山本千愛は移動を前提とするプロジェクト「12フィートの木材を持ってあるく」を2016年から継続しています。新型コロナウイルスの流行によって、「移動すること」は制限させざるを得ない状況下に置かれました。多くの人々に精神的・物理的な制限がかかる中で、変容した社会と自身の身体のリアリティを探ることをコンセプトに歩き続けています。

山本は、この時に歩くことができなかった「九州までの道のり」を2021年の春に改めて歩き、2020年に起きた出来事とその後の関係を新しく繋ぎ直した作品にしました。オンラインでは歩いた映像の抜粋と、歩きながらつづった日記を、山口市→北九州市の往路と、北九州市→山口市の復路の二回に分けて公開します。

プロローグ

私は2020年の5月より山口県民になった。

 同年の3月に愛知県名古屋市から福岡県北九州市に向かって12フィートの木材を持ちながら徒歩で引っ越しをしていたところ、新型コロナの影響を受け、福岡県で住む当てがなくなった。目的地と帰り道を失った私は、その時滞在していた山口県に住む、という全く想定していなかった選択をする。

 現在山口県の山口市に住んでいる。山口市から福岡県の北九州市までは80km。北九州市へ向かうことを断念して以来、なんとなく、山口市から西に位置する九州方面の道を歩くことができないでいる。山口市で生活しているとき、山口県の東側、私が歩いてきた広島方面は開拓できても、西には足を運べずに1年が過ぎようとしている。九州方面に道が続き、街が存在しているはずなのに、私には先が真っ白の空間のように見える。自分が歩くことを断念した道を易々と開拓できない気がしていた。

 私はこの空白になってしまった北九州市までの道を一年越しに更新したいと思っている。本州の端まで歩き、九州の土地に足を踏み入れてみたい。ただし、今回は引っ越しではなく、また山口市へ戻るつもりである。すでに北九州市は引っ越し先ではなくなっている。まだ新型コロナウイルスの懸念もある。これは2020年春の歩みの焼き直しだ。本州の端と九州の入り口はどんな街なのだろう。まだ見ぬ道への期待を胸に、予定調和にいかなかった2020年に向き合い、考える時間にすべく、今回のプロジェクトに《空白へと向かうみち》と名付けることにした。

[日記:山口→北九州]


空白へとむかうみち

2021年4月19日(月)
晴れ。気温22℃。体温35.8℃。 木材の長さ3660mm 山口県山口市


 「200km以内しか歩かないんだったらこの荷物は多すぎかなあ?」今、山口市でお世話になっている家族に荷物を見せながら話すと、「いや、誰もその荷物が適量かわからんのよ。」という返事が返ってくる。木材を持ち歩き始めて5年、200km以内ならそれなりに歩き慣れてきた。歩き慣れてくると今度は100km〜200km程度の移動における荷物の適量がよく分からなくなってくる。必要最低限の荷物が何か分かっていても、荷物の調整がとても難しい。かといってリュック一つでは収まりきらない。塩梅が難しい。

 そしてここ5年の大きな変化というと、誰も私にアドバイスができなくなってきた。「100km以上200km未満の距離を歩く時の適切な荷物量について」を私以上に詳しく知る人物が周りにいない。昔は私自身も知識がなかったため、いろんな人の「あることないこと」のアドバイスをかき集めることができた。現在では「あなたが分からないことを私たちが知るはずない。」と言われることが増えた。もともと「12フィートの木材を買って、歩き始めさえすれば誰にでもできる」と謳っていたのに。誰も真似しないどころか、私がどんどん経験年数を増やすうちに「誰にもできないこと(やろうと思わないこと)」としてどんどんひとり歩きが進んでしまったように思う。

 私は運動部の経験もないし、スポーツも苦手で、持久力もたいしてない。しかし、そのなかで少しずつ階段状に培ってきた経験が、振り返ってみると「ほとんどの人が一見まねできない領域にいる人」のように見えてしまう。なんだか寂しい。じゃあ私が、アドバイスを話し合えるのは登山家や冒険家の人たちなのだろうか。そんなことはないと思う。私はひたすら補正された道路の上を歩くだけなのだ。それは日常の地続き。自分の生活範囲を超えて移動するだけのこと。日本である限りどの土地にもなんとなく似通った景色が続くことが多い。その代わり、人々の言葉が方言として括られてすこしずつ変化していく。

 80km程度を往復するだけなら、言葉にも土地にもきっと大きな変化はない。経験上そういえるが、この1年間空白になっていた時間と移動を焼き直すことには、気持ちと環境の変化が伴っている。なぜなら、こんなにパンデミックな世の中になると思っていたか?山口に住むと思っていたか?現在の私が見ているものは、あの2020年を経なければ見ることのできなかった光景なのである。

 去年の今頃、不織布の使い捨てマスクは入手困難を極めた。そして若者には感染力がない?と思われていたので、私はマスクを付けずに歩いていた(街全体でマスクを着用する人、そうでない人が当時は半々くらいいた)。今はマスクの流通も行き渡るようになり、「マスクを所有していること」自体がエチケットになった。「財布、携帯、マスク」とお出かけの三本柱になるほどに。私もこの暑さで息苦しくなるものの、マスクを携えている。

 今日は誰にも声をかけられなかった。このあいだまで茶色と深緑色だった山々は、うすい黄緑色の新緑が芽生え、私を迎えいれる。黄砂もほどほどに、目がつんと痛くなりながら歩き続けた。

 居候先の家族がよく行く寿司屋の前を通った。その寿司屋は歩いてみると家から3時間半かかることがわかった。うん、絶対に車で連れてきてもらわない限り自分では行かないなと思った。こういうことを言うと必ず居候先の家族は「なんで歩くことが前提なの」とツッコミを入れてくる。そのツッコミが今日も聞こえたような気がした。



持ち運び方で変わる歩行のふるまい?

2021年4月20日(火)
晴れ。気温22℃。体温36℃。 木材の長さ3660mm 山口県山口市ー山口県宇部市


 新山口を早々に出発し、今日は宇部へと向かう。通勤時間帯のはずの7:30だというのに、全然人とすれ違わない。ひたすらに人がいない。1日1回くらいは平均して話しかけられることもあるが、それはそもそも多くの人通りや車通りがあってのこと。行き交う人の母数が少なければ当然話しかけられる確率もグッと低くなる。

 購入したばかりの木材はまだ角が残っている。新品の木材をずっと前腕部分に木を乗せながら歩いたせいか、右の前腕にアザでもあるかのような痛みがする。今日は右前腕が使えない。旅の2日目は毎度「今回の旅において痛みと付き合ってく必要のある箇所」が炙り出される。今年の2月に山口県の東側を歩いた時は、足の甲の筋を痛めた。そのときの教訓もあって、今回はあらかじめ足にサポーターをつけて歩いている。足首周りに異常はないが、代わりに親指の爪が痛い。前傾に体重が乗っかっているのだろうか、それが靴とぶつかって痛みがする。毎度木材を持って歩く時は、痛みを感じる箇所が変わる。だからこそ荷物や靴をプロジェクトの度に変えて実験している。少しずつ、どんな旅支度が自分に合っているかを知るためにも装備のマイナーチェンジは必要だ。まだまだアップデートの途中である。

 今回は大容量のバックパックひとつで来た。200km程度の距離なら、わざわざ今まで使用していたキャリーにボストンバッグを乗せて、大掛かりに歩く必要はないだろうと思ってのことである。しかし、私はバックパック特有の、背中ひとつで全ての重さを受け切ることに全く慣れていなかった。

 そもそも自分で大容量の荷物を持てないから車輪で運ぼうという発想がキャリーを持ち歩くことになったのだ。キャリーを自分の体全体で引っ張ることを1000km以上やってきたので、それがバックパッカーからみて非効率だとしても、キャリーに対しての身のこなしは慣れている。リュックの重さを体全てで受け切るのと訳が違う。

 重すぎて肩がちぎれそうだと思った。難しい。体が後ろに引っ張られそうになり、姿勢が保てない。かといってこんな前傾姿勢を長時間維持できない気がする。100m歩くごとにリュックを下ろしたくなる。なんだこれ。このままじゃ全然前に進めない。リュックの肩紐を思いきり短くしてみると、体全体に重さが乗っかり、少し安定した。なるほど、なるべく自分の自重と一体化させたほうがいいのか。この感じなら自分に体重が増えたような感覚で歩けばよいなと思った。昨日まで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと荷物の重さに足をとられていたのが収まった。ただ、肩と脇が締め付けられすぎて鬱血しそうになる。調節が難しい。正直これなら、今まで持ち歩き慣れたキャリーの方が全然楽だなと思った。

 キャリースタイルとバックパッカースタイル、それぞれに長短があるのは言うまでもない。キャリーのような車輪付きのものを引っ張る時、それは自分が車椅子やベビーカーを使う人と似たような悩みを常に抱えることになる。階段の負担が大きく、木材を持って1回、荷物を持って1回と往復をしなくてはいけないし、スロープのある場所を探さなくてはいけない。その不便さはある。ただ、車輪を引っ張っているので荷物の荷重をあまり考慮しなくて済む。つまり何かを拾ったり、何かを差し入れにもらったりといった荷物量の変化に悩まされることがほとんどないと言っていい。

 バックパックの場合は、徒歩利用者としての自覚だけでよいので、階段を使って近道することもできるし、Googleマップの健常者のみに向けてしか想定していないのでは?と思うようなありえない道案内にいちいち目くじらを立てることもない。バックパックならコンビニや店に入るときも、荷物の心配をせずに全ての荷物を持ち込んで入店できる。ただ、荷物が重すぎるため、トイレを利用する時のカバンをかけるフックの前でカバンをかける位置の高さに、ウェイトトレーニングをしているかのような苦労がつきまとう。

 今、文字にしてみて改めて、どちらがよいとは一概に言えないと思った。持ち歩く荷物の選択だけで、自分の立ち振る舞いや悩みが変わる。それによって見えてくる情景やその時の感情、直面する悩みに更新があるのは面白いと思った(とはいえ大変なことに変わりはないが)。

 人とすれ違わない道に慣れているはずなのにやけに寂しい。人と会っていないはずなのに今日はやけに神経を使う。人と会っていないはずなのに、なんだか面倒だから人と関わりたくないなとさえ思った。人気がない田園風景に、人がいないことがストレスでもある。かといって歩いている姿を見られて、目立ちたいわけではない、という変な矛盾。そして疲れ果てているはずなのになぜか寝付けない。これは疲れすぎて逆に睡眠時間が短くなる現象なのだろうか。

 今日はやけに脳みそがごちゃごちゃする。脳が情報処理に熱心でなかなかスリープモードにならない。早く眠りたい。


スタンディングオーベーションしたい道/パチパチパチ

2021年4月21日(水)
晴れ。気温26℃。体温36℃。木材の長さ 3660mm 山口県宇部市ー山口県山陽小野田市


 静かな朝だ。しずか。これはコロナだからではなく、たぶん普段から平日のこの時間は静かなのだろう。寝ても寝ても眠くて、今日は大幅に寝坊した。まあそんな日があってもいい。なにか先を急いでいるわけでもないのだから。

 私は昨日と今日でこの宇部が大変気に入ってしまった。なぜかというと、宇部は歩道がとても広いのである。特に踏切に歩道が、あるところすら珍しいのに、その上とても広い。さらに、すぐ一本隣の道にも踏切がある。他の土地では踏切が2〜3kmごとの間隔での設置だったりする。そして私も今まで何度「ああ、あのときあそこで踏切を渡っておけばよかった」と後悔をしたことか。そのくらい線路で遮られた、こちら側とあちら側との道への行き来の不自由さを感じたこと数知れず。それが「どこからでも線路を渡れる、渡り放題」ともなればこの感動は大きい。その場でスタンディングオーベーションでもしたいくらいだ。こんなに歩行者としての多様性を認められることはそうそうない。

 そんなことを少しかいつまんでSNSに投稿した。すると、フォローしてくれている人の1人が「戦後焼け野原になった宇部のまちに、宇部興産がいち早く100m歩道と呼ばれる広い道を港にむけて敷いたと、地元の人に聞いたことがあります。」というコメントを残した。なるほど、戦後の再興として素晴らしい試みだなと思った。歩道だけでなく車道ももちろん広い。街を利用する人の多様性に富んでいる。こういった気遣いが環境デザインとして現れてくるのはなんとも嬉しい。

 さらに歩みを進めていて、びっくりしたのが、国道190号線沿いの長い長い道である。そこを歩いていると違和感に気づいた。あれ、この長い歩道、ずっと点字ブロックが敷かれてるなあ。点字ブロックを必要とする人が長距離を歩けるように想定したということ、これもまた、やった!という気持ちになった。私は交通弱者なのか強者なのかということをよく考える。体力がある、どこまでも歩くという意味では「つわもの」と書いて強者と言える。しかし、木材を持って歩くことで制約も多く、本来普通に歩ける場所でさえ、思うように歩くことがままならないこともある。弱者というよりは、歩行マイノリティとでも言おうか。

 しばらく喜び、興奮していたものの、暑気にやられて思うように歩けない。歩いていて、ため息も出てくる。少し草むらに行けば、汗をかいてることもあって蚊がよってくる。ギャー!と喚きながら蚊を振り払いつつ急いで通り過ぎる。すると足元に何かの死体があってさらにギャー!と飛び上がる。恐る恐る覗くと亀が死んでいた。あたりの惨状を見るに、車に轢かれたらしい。山口では結構野生のカメを見ることがあったが、亀の死体を見るのは初めてだった。ビクビクしながら亀にお辞儀をして通り過ぎた。生き物の生死と直面する機会が多いのも徒歩の特徴である。自転車のスピードでは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

 休憩中に面白い模様の落ち葉を見つけた。あたりにいくつも似たような葉っぱが落ちている。どうやら葉が落ちて雨が降り、その湿り具合の差で色が落ちたところと残ったところに分かれ、模様のようになったようだった。気に入ったものをピックアップして並べてみた。なかなか面白い。持って帰りたいと思ったが、落ち葉は押し花のようにはいかない。ノートに挟んでも、もともと乾燥しているので、挟んだ先からパラパラと崩れてしまう。一応何枚かノートにそっと挟んだ。

 こうやって少し気を紛らわせながら歩いていると、どんどんお腹が空いてきた。食べたものがすぐエネルギー源として、歩くパフォーマンスに直結するので、人間も車と変わらない燃料の入れ物なのではないか、というのを感じる。咄嗟に入ったファミレスで、冷えたおしぼりにホッとしながらアイスクリームを注文した。身体が熱を帯びたら冷やす。それだけで少し冷静になれる。人間もPCや機械と対して変わらないなと思った。
 西は日が暮れるのが遅い。まだ17時でも明るく、関東で言ったら7・8月の夕暮れぐらいだ。ぺろりと平らげたカロリーは、歩くエネルギーよりも、眠るのに必要な体力に溶けていった。


歪む景色と鎮座する荷物

2021年4月22日(木)
晴れ。気温27℃。体温36.2℃。木材の長さ 3660mm 山口県山陽小野田市ー山口県下関市


 今、疲れすぎて眠い目を擦りながらこの文章を書いている。

 昨日の暑さに懲りたので、少し朝早く出発することにした。朝は風がひんやりして気持ちがいい。ずっとこの気温ならいいのになと思う。そう思ったのも束の間で、7:30には太陽がジリジリと照り付け始めた。早いよ。

 すれ違いざまの中学生が何人か私に向かって会釈をした。知らない他人に会釈をするのってすごいよなあ、と感心する。学校の生活指導で「地域の人に挨拶を」と、先生が言うのを本当に守って実行している中学生がいるなんて。それにしても挨拶する人を選ばないなんて、さらに頭が下がる。マスクにサングラス、そして長い木の棒を持った人には会釈しなくたっていいのに。むしろ身の危険を感じて距離を取ってもいいのに。いや、それだと自分が変な人だと認めるようでなんだか癪でもある。こんなことをしているくせに実は目立ちたくない。私も会釈をして、暴れたりしないですよ、という素知らぬ顔で足早に立ち去った。

 コンビニの脇で休憩を取る。このバックパックの装備は重すぎて200mに一回ぐらいのペースでバックパックをおろさないとやっていられない。こんな非効率なことあるか、と心の中でイライラしながらスポーツドリンクを飲む。急に前からおばあさんがにゅっと出てきた。「あなた、そんな荷物持ってどこ行くんですか。」「関門橋のほうです。」「ああそうですか、どこからいらしてるの?」「山口市です。」「ああ、そう、がんばりなさってね。」と激励をもらった。おばあさんはバトミントンケースらしきものを手にしていた。まだバックパックを背負う気にならないので座ってぐずぐずしていると、さっきのお婆さんがまた現れた。「これ。よかったら。」と、おにぎりとお茶を差し入れしてくれた。「え、いいんですか。ありがとうございます。」ここのところずっと誰にも話しかけられず、山口、宇部、山陽小野田と進んでいたのでやけに嬉しかった。こうやって人の恩に預かったらやはり歩くしかないと、自分を奮い立たせた。

 目の前には陽炎がでている。「溶けちゃうよー!滅ぼす気かー!」と声を出してみるも、誰に届くわけもなく、虚しく車のエンジン音に消えた。

 市街地に入り、200mおきぐらいに休んでいると、白いエプロンを来た中年の女性が声をかけてきた。「その木なあに?」私は、暑いので顎に留めていたマスクを慌てて口元に当て、怖くないようにサングラスを外して、「これを持ってずっと歩いているんですよ。」と答えた。するとご婦人は「え!女の人だったの?」とびっくりした様子だった。この木材を持って歩いていると、それなりの確率で性別を間違えられることがある。そして間違えた人たちは「女の子がいったいなぜ」というようなリアクションを取る。女だからということに理由はない。少し説明すると「まあ、そういう人もいるのねえ。さっきそこで何人かの人たちと、あの人あんなもの持ってなにしようとしてるんだろう、って喋ってたのよ。」と言われた。やはり複数人で私を目撃すると、私のことについてなにか言葉を交わすんだなあ、と感心した。そして、訝しげに思った後に、本人に話しかけてみるとは、この人は度胸があるな、と思った。せっかくなのでカメラのシャッターを切ってもらうことにする。彼女は爪を長く伸ばしていて、ピンクのネイルに花の模様をあしらっていた。彼女は「爪が長いから、ちゃんとシャッターが押せないわね。」と何回か強くボタンを押した。「ちょっとその木持ってみてもいい?」と言い、彼女は木材を少し持って「想像以上に重ーい!」と驚きまじりに声をあげた。その後お礼を言って別れた。

 下関に入ると、今までの道中で見てきた山より、山が小ぶりになったように見えた。

私は長く歩いていることと、炎天下でイライラしていることもあってか、歩行者を想定せずに、「とりあえず作っただけ」のような作りの道にひどく憤慨した。なぜか陸橋を歩道だけが上がって下がってを繰り返す。車は真っ直ぐ平坦に走れるのに、歩行者だけがアップダウンになり、階段になり、迂回させられる。同じ距離でも、とても時間がかかる。

 道の途中で噂に聞いていた貝汁のおいしいドライブインに入って貝汁を飲んでみた。お椀に山盛りのアサリが入っている。貝の出汁とミネラルが、汗だくの体にやけに優しくて力強く染みわたった。



あと2cmの

2021年4月23日(金)
曇り。気温20℃。体温36.0℃。木材の長さ3660mm 山口県下関市ー福岡県北九州市


 今日は日が翳っていて、風も強く吹いていた。気温が昨日と6℃も違う。6℃違えばこんなに快適に過ごせるのかと驚く。昨日がこんな気候ならもっと楽だったのになあと思いながらサングラスを外した。いよいよ本州の一番端に着き、そして九州へと降り立つことが出来る。2019年に群馬から少しずつ西へ歩いてきて、そしてまさか本州の端まで歩くことができるなんて。感慨深い。20歳の頃の私に「5年後君は歩いて本州の端に辿り着いてるんだぜ?」と言ったらどんな反応をするだろう。まだ木材は完全に角が削れきれていないので長辺は12フィートのままである。

 道が開けて海が広がった。海沿いを歩く。潮のにおいが鼻に運ばれる。時々貨物船がボーッと音を立てる。海沿いは景色が良いこともあってか、ランニングしている人にたびたびすれ違った。

 そのうちの1人に探検隊が被るような(ピスヘルメットというらしい)帽子を被り、首に手ぬぐい、半ズボンを履いたおじいさんが笑い混じりに「こんにちは」と言って私を追い抜かしていった。またしばらくすると先程のおじいさんが前からやってきた。どうやら復路のようである。

 するとすれ違いざまに「それ、時代が時代なら凶器準備集合罪で捕まるよ。」と言われた。どういうことか聞くと、おじいさんは学生運動真っ只中の世代で、その運動に参加をしていたとのことである。ラーメン屋のテレビで三島由紀夫の檄をとばした演説を聞いたり、大怪我をした友人のこと、次第に怖くなって逃げようとしたことなどを話してくれた。そのおじいさんは終始ニコニコしていて、怖い雰囲気などは感じなかった。「君のそれ(木材)をみて急にふと走馬灯みたいに当時のことを思い出したんだよ、もうしばらく思い出してもいなかったのに。今日はきっと夜まで当時のことを思い出しちゃうだろうな。」と言われた。

 私はたまに「キリストの十字架?」とか「学生運動?」と言われることがあったが、その当事者の人に会うとは。私の木材が人の記憶を呼び起こしたみたいである。おじいさんと別れ、関門橋を目指して歩く。

 そしてすこし緊張の面持ちで関門トンネルの入り口に来た。まず関門トンネルについて説明すると、本州と九州を歩いて渡りたい場合、この「関門トンネル」以外に方法はない。「関門橋」という本州と九州をつなぐ橋は、車専用の道路になっており、「関門トンネル」は地下に作られた歩道である。一応自転車と原付も手押しであれば通ることが出来る。そしてこの地下道である「関門トンネル」にいくためにはエレベーターを使うしかない。

 そう、そして問題はここからだ。このエレベーターに木材が載るかどうか。北九州に行けるかどうかに関わってくる。しかし12フィートは3660mm。角は削れていてもまだ長辺に変化はない。普通のエレベーターだと大体高さは2.5mぐらいなのでそもそも12フィートは入らない。ただ、関門トンネルのエレベーターは大きいと聞いていたので、それに賭けてみた。どうだろう。

 周りに人がいると迷惑になったり、不振がられたりするかもしれないので、あたりに人がいなくなるのを待った。そして恐る恐る「下へ」のボタンを押す。エレベーターのドアは開き、思ったよりも幅が広く感じた。一気に木材を斜めに起こして入れ込む。む。あ。やはり詰まる。エレベーターは自動で閉まり、木材が引っかかってガタンという音を立ててドアが再び開いた。難しい。というかこれを1人でやるにはかなりテクニックが必要だと思った。

 何度か悪戦苦闘したあと、恐る恐る管理人のいる窓口に近づき、エレベーター以外の方法で下のトンネルまで下れるか尋ねてみた。怒られるかな、追い返されるかな、とドキドキしていた(私は過去にレインボーブリッジで追い返された経験がある)。すると係のおじさんは、「どうやろね、もう一回やってみましょうか。」と木材をエレベーターに入れるのを手伝ってくれた。

 おお!なんとか入った!ギリギリでドアも閉まる。やった!「ありがとうございます!」意気揚々と地下まで下りていく。そして地下道へのドアが開いた。

 が。しかしである。エレベーター内の対角いっぱいいっぱいに入れた木材は、後ろに引くリーチが残されていなかったため、ドアから地下道にむかって木材を出すことができずにつっかえてしまった。なんと、エレベーターのドアは、先ほど入った入り口と反対のドアから開く仕様になっていたのだ。うそ!!!????つっかえて木材を取り回すことができない。

 そしてじたばた動かしてみるも、変わらずつっかえたままだった。虚しく一度も地下道に降りることなく、再び地上へと上がってきた。目分量であと2cm!あと2cmこの木が短かったら反対方面に開くドアに木材を取り回せただろう。なんてこった。地上に上がってエレベーターから木材を引き摺り出すと、先程の係の人が「あれ?降りれませんでした?」とやってきた。事情を話し、その係の人と再びチャレンジするもやはりあと2cmでつっかえてしまう。「あーこりゃだめですね。」

 私はゾッとした。あと2cm木材を削るためには、経験上20kmは歩かなくてはいけない。そして今回私は、この関門トンネルを越えた先にある北九州で宿をとってしまったのだ。「なんとかなりませんかね?」と係の人に泣きつくと、「うーん、この先にね、下関と北九州をつなぐ連絡船があるんですよ。その船が木材を載せてくれるのであれば、船だから。きっと木材は余裕で載ると思いますよ。」と言い、連絡船までの地図をくれた。係の人にお礼を言い、急いで連絡船に向かう。

 もし連絡船が載せてくれなかったら、この下関で急いで20km歩いてもう一度関門トンネルにチャレンジするか……?でもこの時間からだと……。一度木材をどこかに隠して、自分の身だけ一旦北九州に行って、一泊してまた戻ってくるか?いろんな事態を一度に想定した。

 そして連絡船のある「唐戸市場」と呼ばれる磯の名産なども食べられる観光地らしきところに着く。観光には一つも目もくれず、船着場近くの券売所に入った。「あの、人以外のものも船に載せることはできますか?木材なんですけど。」「えーと、手で運べるものですかね?みてもいいですか?」と言われ、外においた木材をみせると「大丈夫ですよ。」と返ってきた。やった!やった!よかった……。

 連絡船に木材を運ぶ。そして船着場の人が、ひょいと木材を船に入れてくれた。時速18kmで船は走る。甲板に出ると風をもろに受けて、とても早く感じる。そして水飛沫が顔に飛んでくる。寒いくらいだ。ものの5分であっという間に北九州に着いてしまった。

 木材と一緒に移動できたのだから御の字……のはずなのになんだか物足りない気持ちになる。果たしてこれでよかったのだろうか。私が埋めたかった空白のみち。2020年に歩きたかったはずの山口ー北九州間を歩いたことになるんだろうか。

 よし、かえりは絶対に関門トンネルを通って、歩いて本州に戻ろう。

 そのためには木材がエレベーターに載る必要がある。少なくとも2cm、余裕を持って4cmは削らないといけない。今日は幸いにも平日だったから、スムーズに船にも乗れたし、エレベーターにもチャレンジできた。きっとここからの土日にそこまでの融通は効かないだろう。平日に関門トンネルにチャレンジするとして、この土日は木材を削るために歩こう。

 今まで木材が削られるのは結果としての副産物であったが、木材を削るために歩くのは初めてである。逆転現象が起きた。よし、やるしかない。歩いて本州にかえるぞ。


山本千愛
Chiaki Yamamoto

1995年群馬県生まれ。2018年群馬大学教育学部美術専攻卒業。

2016年より「12フィートの木材を持ってあるく」というプロジェクトを開始。当初は自分の実感を伴って移動をしたいという理由で、自分ひとりで持ち運べるギリギリの重さや長さのものを探した結果、ホームセンターに売られている12フィートの木材に着手する。長期的に活動を継続する中で、家庭の解散や社会情勢に巻き込まれたり、通りがかりの人の協力を得たり、作者本人の想定し得ないエラーに直面していく。次第に生活と制作が切っても切り離せないものとなっていった。木材を持って歩く際、木材は道で削れていき、歩いた道のりを記録するものとして一役買っている。現在は群馬県から歩いて山口県にたどり着き、滞在している。

持ち歩いた木材、移動の道中を記録した映像や日記、スケッチなどを構成してインスタレーションを展開する。自身が被写体となるため、俯瞰で撮られた写真や映像は、道ゆく人に声をかけられた際に撮影を依頼している。

関連記事