かたちのない手ざわり/接地面をなぞる
アーティストの山本千愛は、2016年から「12フィートの木材を持ってあるく」という活動を繰り返し行っています。12フィート(H3658mm×W116mm×D58mm)というサイズの棒を携えて歩く山本は、ゆっくりと歩みを進めていきます。人々が営む日常の生活やリズムから逸脱し、極めてスローな時間軸の中に身を委ねることによって現れる身体感覚と向き合う山本は、想定外な状況や人との出会いにも遭遇していきます。
2020年は北九州に住んでいる予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により変更を余儀なくされた山本は、東京を歩くことにしました。今回、その12日間の旅路を記録した映像を公開します。まちなかをささやかに横断していく山本の身体は、何と出会ったのでしょうか。
かたちのない手ざわり/接地面をなぞる によせて
2020年とその後の未来をどう生きるか、を考えるための作品である。
山本の主な活動のひとつである「12フィートの木材を持ってあるく」は、2016年から開始した移動を前提とするプロジェクトである。新型コロナウイルス流行によって、「移動すること」は世界的に制限させざるを得ない状況下に置かれている。多くの人々に精神的・物理的な制限がかかるなかで、変容した世の中と自身の生身のリアリティを探る方法として、2020年の夏に東京都港区を130km歩いた。その様子を撮影したビデオや日記、実際に歩くときに使用した木材を中心に展示する。ビデオは途中でカットせずに、歩いたすべての時間を12日間分同時に流す。
本来想定していた2020年が来ていたとしたら、私は九州に住んでいて、オリンピックに沸き立つ東京の地を歩くことはなかっただろう。しかし、新型コロナウイルスが存在しなかった時でさえ「想定していた未来」というものは訪れていたのだろうか。その状況時々で、エラーが起き、それを肌で感じながら、自分で選択した道を進んでいくのではないだろうか。私はこの状況下の2020年夏に東京都を歩く必要があると考えた。
移動の手間を省いて膨大な情報に触れることのできるデジタル社会で、なおかつ移動に制限のかかる情勢においても、変わらず季節はめぐり、時間は経過する。木材を持って歩いた膨大な映像の一部始終に鑑賞者が立ち会うことは、夏は暑い、セミの声が聞こえる、木を引きずる音、といった極めてシンプルな生身の時間と激動の一年に想いを馳せる機会になることを期待している。コロナ禍以降、一見すると人と距離を保つ道具に見える長い木材を通じて、通りがかりの人たちと山本が小さな絆を育む場面がある。それは今もなお、抑圧された移動の緊張感や懸念と裏腹に、「生きること」と「出会うこと」のリアリティが立ち上がってくる。
この展示と並行してオンラインの展示では、2020年に行くことができなかった「九州までの道のり」を今年の春に歩き直し、2020年に起きた出来事とその後の関係を新しく繋ぎ直した作品を公開している。
山本千愛
1995年群馬県生まれ。2018年群馬大学教育学部美術専攻卒業。
2016年より「12フィートの木材を持ってあるく」というプロジェクトを開始。当初は自分の実感を伴って移動をしたいという理由で、自分ひとりで持ち運べるギリギリの重さや長さのものを探した結果、ホームセンターに売られている12フィートの木材に着手する。長期的に活動を継続する中で、家庭の解散や社会情勢に巻き込まれたり、通りがかりの人の協力を得たり、作者本人の想定し得ないエラーに直面していく。次第に生活と制作が切っても切り離せないものとなっていった。木材を持って歩く際、木材は道で削れていき、歩いた道のりを記録するものとして一役買っている。現在は群馬県から歩いて山口県にたどり着き、滞在している。
持ち歩いた木材、移動の道中を記録した映像や日記、スケッチなどを構成してインスタレーションを展開する。自身が被写体となるため、俯瞰で撮られた写真や映像は、道ゆく人に声をかけられた際に撮影を依頼している。