空白へとむかうみち[後編]

山本千愛
  • その他

プロローグ

私は2020年の5月より山口県民になった。

 同年の3月に愛知県名古屋市から福岡県北九州市に向かって12フィートの木材を持ちながら徒歩で引っ越しをしていたところ、新型コロナの影響を受け、福岡県で住む当てがなくなった。目的地と帰り道を失った私は、その時滞在していた山口県に住む、という全く想定していなかった選択をする。

 現在山口県の山口市に住んでいる。山口市から福岡県の北九州市までは80km。北九州市へ向かうことを断念して以来、なんとなく、山口市から西に位置する九州方面の道を歩くことができないでいる。山口市で生活しているとき、山口県の東側、私が歩いてきた広島方面は開拓できても、西には足を運べずに1年が過ぎようとしている。九州方面に道が続き、街が存在しているはずなのに、私には先が真っ白の空間のように見える。自分が歩くことを断念した道を易々と開拓できない気がしていた。

 私はこの空白になってしまった北九州市までの道を一年越しに更新したいと思っている。本州の端まで歩き、九州の土地に足を踏み入れてみたい。ただし、今回は引っ越しではなく、また山口市へ戻るつもりである。すでに北九州市は引っ越し先ではなくなっている。まだ新型コロナウイルスの懸念もある。これは2020年春の歩みの焼き直しだ。本州の端と九州の入り口はどんな街なのだろう。まだ見ぬ道への期待を胸に、予定調和にいかなかった2020年に向き合い、考える時間にすべく、今回のプロジェクトに《空白へと向かうみち》と名付けることにした。

[日記:北九州→山口]


1リットルのサービス

2021年4月24日(土)
晴れ。気温20℃。体温 35.9℃。 木材の長さ 3655mm 福岡県北九州市

 
 あと2cm短かったら。昨日の関門トンネルのエレベーターから地下道に出るためには、あと2cm木材が短ければよかった。またこの2cmが絶妙で、20km歩けば削れる長さである。これが10cm以上長かったら、簡単に諦めていただろう。あと2cmとなれば、歩いて短くして、何がなんでも関門トンネルを越えたくなってしまう。本当に「関門」である。

 つまりここからの徒歩は本来想定していない展開だ。九州に入ったらすぐに山口へUターンするはずだったのだ。歩く場所も番外編ということになる。ここまで来たのならいっそのこと九州の日本海を見てやろうじゃないか。
 北九州は山口県と違って、わりと大きな街のように見える。土日なこともあるが、歩道を結構多くの人が普段から行き交いしているようである。バスが発達しているのか、バス停が至る所にある。本数も1時間に何本かあり、時刻表が黒い文字で埋まっていた。この点も山口県とは大きく異なる。
 海にひらけた港なこともあり、釣り人が多かった。赤煉瓦づくりの建物が立ち並ぶ。ランナーも多い。
 それにしても暑い。ほとんど意地で歩いているようなものだ。
 地方性があるのかたまたまなのかは分からないが、北九州では柄の布マスクをしている人が多いと思った。そういえばちょうど去年の今頃は、使い捨てマスクが一切手に入らず、そしてまだ全員がマスクをしているわけではなかった。その代わりに布マスクが店頭に並び始め、いろんなバリエーションのお手製マスクが売られるようになった。
 確か去年の5月の下旬ごろにはマスクがようやく買えるような状況になったかと記憶している。そして秋口に布マスクよりも不織布のマスクのほうが飛沫感染の防止効果が高いとされ、皆つぎつぎに布マスクから不織布のマスクに切り替えていったのである。この一年で、だいぶ変遷していったことをぼんやりと思い出した。

 北九州は山口県の東側(周南、岩国など)にくらべてほとんど勾配がない。平地のように歩けるはずなのに、とても過酷に感じる。それはこの気温のせいでもあり、さらに言えば大きなバックパックを背負う方法が私に全く馴染んでいないからというのもある。これでも初日よりは慣れてきたが、辛いことには変わりない。
 ここ数日で分かったのは、なるべくリュックを体にピタッと合わせるようにリュックの紐を短くしたほうが良いということ。荷物が体に離れているほど重さを感じる。バックパックの重さ分、自分の体重が増えたと想定して歩くイメージだ。正確に測ったわけではないので分からないが、多分この荷物は15kgくらいあるのではないだろうか。自分の体重が15kg増えたらこんなに大変なのかと思った。あと、不思議なのは、荷物が重いので後ろに引っ張られるのかと思いきや、そんなことはなかった。むしろ左右によろよろする。
 今までは、キャリーに荷物を乗せ、キャリーに紐を括り付けて荷引馬のようなスタイルで運んでいた。その時、たまにすれ違う人から飲み物の差し入れをもらうことがあった。キャリーの時はそれが1リットルでも2リットルでも(当然物理的に重いが)なんとか運べた。もし今の状況で1リットルの水をもらったら死んでしまう、と思った。今ですら限界なのに。
 そして、ある和菓子屋に入った時にサービスで水を1リットル配っていた。私の格好が一見登山スタイルに見えるので、店員さんに「どうですか?」と言われたが、心苦しくも丁重に断った。ここには想像のずれがある。それが面白くもある。つまり私たちはなにか物事を想像するときに必ずなにかが抜け落ちているとも言える。想像と現実、当事者と非当事者など。そのずれがあるから想像は一人歩きを始めて、そして思わぬ展開に派生することがある。とても興味深い。私自身はもちろんのこと、想像と現実のギャップに毎回頭を叩かれてハッとする。木材を持って歩いているとそのズレを無言で木材が教えてくれる。

 ただ足を交互に前に出して進むだけなのにそれがなかなかできない。嫌々だったり、怒り混じりだったり、その他色々な感情を持ち合わせながら進む。残り5キロになるとようやく希望が見えてきた。


シャッターを切る関係性

2021年4月25日(日)
晴れ。気温20℃。体温36.0℃。 木材の長さ 3610mm 福岡県北九州市

 
 私は2019年に一度木材を紛失しかけたことがあり、それ以来宿泊をするときは、フロントに「木材を置かせてもらえないか」という旨を話すようになった。常々の疑問なのだが、チェーン展開をしているホテルは客の素性を詮索してはならないという決まりでもあるのか、一度も「その木、何に使うんですか?」と聞かれたことがない。チェックインの際に「車の利用なし」にチェックを入れているのにもかかわらず「3m以上の長さの木材を一本、私物で持ってきているのですが置かせてもらえませんか?」と言う。しかもその木は新品ではなくところどころ傷がついていて、さらになぜか両端が尖っている。この違和感、気にならないのだろうか。
 全く顔色ひとつ変えずにうやうやしく扱ってくれるホテルが多いのだが、今回泊まったホテルでは表情に露骨な不信感が出ていた。私が気をつけているのは、木材を持っていないときほど丁寧でハキハキ喋る客になること。そうすると多少怪しくてもその怪しさは薄まるのではないか、と勝手に思っている。スタッフの私と同い年ぐらいに見える女性が「お車までお持ちしましょうか?」と言ってくれた。「いえ、車がないので大丈夫ですよ。」と答える。彼女はギョッとして、そして戸惑ったそぶりを見せた。
 うーん、しまったな。実はこのホテル、2泊予約していて、あと一泊する。預かってもらった木材を一度取り出してもらい、また今日歩き終わったら預ける予定なのだけど、絶対に不信に思われているだろうな。ハキハキ喋ったつもりだけれど、ハキハキ喋るタイプの変な人だと思われたかもしれない。ホテル側からしても最初の1日目は「仕事で使うのかな?」と思うだろうが、2日目は「え、なんでまた持って帰ってきてんねん」と思うかもしれない。

 ホテルを2泊予約したことで、今日はバックパックの荷物をほとんど抜いて、軽い状態で歩くことができた。
 ホテルは黒崎駅の近くで、八幡駅から一駅の場所。私がここまで北九州を歩いているのはすべて関門トンネルを通って、歩いて九州と本州を渡るためなのだ。それならせっかくだから海も見たい、ということで北九州の海を見に行くことにした。北九州は港の貿易が盛んな町なこともあり、コンクリートで埋め立てられたいかにも「港」である。海岸までいくには遠回りをしなくてはいけなかった。寒さの中に入り混じる暑さが行手を阻む。荷物が軽いのが救いで、いつもよりも休憩を少なめにしながら歩くことができた。「なんだ、荷物がなければこんなに楽々歩けるのか。」と思った。私はどうして荷物がこんなに重くなるのか自分でよくわかっていない。そんなに多すぎるほど持ってもいないし、道で拾い物をしたら荷物は増える一方だしで、どんどん重くなることはあれど軽くなることがない。
 今日は風がやたらと強く、そして冷たい。私は薄い長袖の上に半袖を重ね着しているだけだったので、どうも冷える。お腹を壊すタイプの冷え。いつもの荷物の中に上着があるのだが、それをちょうどホテルの部屋にすべて置いてきたところだった。なんとタイミングが悪いのだろう。取りに戻るのも今朝のことがあるし、それ以前に面倒なので、諦めてちょっと早歩きをした。運動量を増やして体の熱を発して温まる作戦だ。

 休んでいると、どこからか遠くのほうで聞こえてくる鳥の鳴き声が、普段聞いている鳴き声と比べて格段に美しくてうまい音色だった。もしかして、鳥の中にも「歌がうまい鳥」「音程のとれない鳥」がいたりするのだろうか。それで言うとこの鳥は、鳥界の中でもソプラノ歌手のような立ち位置の鳥だろうな、と思って耳を澄ませていた。

 どんどん畑の田舎道に入っていく。人通りはもちろんなく、車も軽トラック以外見かけなくなってきた、そして風がどんどん強くなっていく。するとあるところで急に景色がスカンと抜けた。海だ。海が見える。この強風は海風か。海岸に着いた。海岸の看板を見てみると、この場所は玄界灘になる前のギリギリ日本海に属する海らしい。
 日曜日なこともあってか、サーファーで海は混んでいた。私は海の中でも日本海がとても好きだ。太平洋、瀬戸内海の砂浜が黒っぽいのに比べて砂浜が赤っぽい。初めて木材を持って歩いた海が日本海なことも理由のひとつかもしれない。
 そして九州の海は何より綺麗だ。驚くほど海の水が透明なのが目で見てわかる。青い部分が海だと思って近づくと足が濡れている。あれ?と思って足元をよくみると青い海の前によく見ないとわからないくらい透き通った透明の海水がある。それに気づかずに海に近づこうとして、もうそこは海だったというわけだ。メッシュ素材でできたスニーカーにはあっという間に砂と水が入り込んできた。冷たい。しまった。

 誰かに写真を撮影して欲しいなと思った。話しかけようにもサーファーたちは波に乗っているため、遠くにいる。サーフィンに夢中だからこちらを気にも留めない様子だ。
 誰かがこっちに歩いてくるのを待つしかない。しばらく海を眺めながら様子を伺っていると、奥の海岸から手前に向かって歩いてくるサーファーがいた。すかさず走って声を掛ける。「すみません、シャッターを切っていただくことできますか?」すこし怪訝そうな顔をしたのち、「あー、はい。」と了承してくれた。2枚ほど撮ってもらう。そしてすぐに「ありがとうございました」とお礼を言って終了。やはり、自分から声を掛ける場合はかなり難しい。なぜなら私のことを怪しいと思っているから。私は自分自身を俯瞰で撮影することができないため、人との交流は必要不可欠である。ただ、自分から話しかけることはよっぽどのことがない限りない。
 私に話しかけてくれる人というのは私に興味を持ってくれている人なので、撮影を依頼しやすい。やはり心理的距離がカメラの構図にも如実に現れたりする。さっきの私が声をかけたサーファーが撮影した写真は、今まで撮影してくれた人の中で一番遠い場所から撮影していた。本当はもっとこうして欲しいな、という構図や位置があったりするのだが、それを指定することすらできないほどに心理的距離を感じた。撮ってくれるだけありがとうございます、な状況なのだ。

 私が撮影を依頼するのはプロではない。その場にいた一般人である。
 よく雑誌のモデルがするような、どこか鋭い眼差しだったりカメラから目線を外したり、笑顔ではない表情だったりというのは、私にとってあまりリアリティがない。なぜなら、モデルが表情作りのプロでもあり、そこで求められている顔というのは非日常的な顔つきだったりするからだ。逆に私のように初めて会った一般の人に撮影を頼むときにそのモデルのような顔つきというのは、私と撮影者の間にある関係性では、できない。
 自分でも気づかなかったのだが写真を何枚か見ていると、シャッターを押す撮影者によって被写体である私の顔つきが全然違うことに気づいた。半笑いしてたり、口を真一文字に結んでいたり、満面の笑みを浮かべていたり、会ってその場で築いた関係性によって、表情が自然と変化しているのである。
 それもふくめて私は、自分が思っている以上に顔に感情がでやすいのだと思った。それは関係性のリアリティでもあるなと思った。今までずっとプロに撮影同行をしてもらったことはなかったが、これをプロに依頼していたら、私は別の意味で「作品としての表情」をつくってしまうだろうと思った。だからこの一般の人に撮影を依頼するというプロセスは、なくてはならないものなのだと理解した。

 海から上がるとき、砂による足のざらつきと、潮で髪がゴワゴワになるのを感じた。来た道を戻るとき、あの歌の上手い鳥はいなくなっていた。


“再び出会うこと”の渦

2021年4月26日(月)
晴れ。気温18℃。体温36.0℃。 木材の長さ3600mm 福岡県北九州市

 2日連続で泊まったホテルを出て歩き始める。今日はようやくUターンして門司港に向うつもりだ。門司港に戻ればちょうど70kmぐらい歩いたことになるので関門トンネルのエレベーターは余裕で入るだろう。

 外は風が冷たく、上着を羽織るも、歩き出すと暑くなる。休むと寒い。少し進んで上着を着て脱いでを繰り返す。
 途中、コンビニのトイレに寄ろうと思い、木材を駐車場の端に置き、店内に入る。自動ドアのすぐそばに立っていた人と目があった。ん?その人に見覚えがあった。しかしそんなはずはない。知らない人と目が合うにしては長いアイコンタクトだったように思う。一瞬フリーズした後、「もしかして、谷さん?」「うん。」「えー!なんでここに!?」そう、この人は谷さんといって、私が名古屋に住んでいたときに働いていた場所で、ずいぶんとお世話になった人だ。彼は愛知県在住のはずで、九州にいるなんて考えもつかない。「なんで!?ここに?」「いやそっちこそ。」お互いに連絡先は知っているが、連絡はとっていなかった。私は歩いている様子をSNSに投稿しているが、谷さんはそれを見ていなかったとのこと。仕事で北九州に4日ほど前に来たらしい。今日だけたまたま始業時間が遅く、その時間を使ってコーヒーでも一杯飲もうとバイクに乗っていたところ、木材を持って歩いている人物が見えたとのこと。私の活動を谷さんは知っていたので「え、山本じゃん、本当に歩いているんだ、しかも九州?」と驚いたそうだ。そして谷さんはコンビニに入ったところ、たまたま私もそのすぐ後にコンビニに入ったという次第である。
 私は今まで木材を持って歩いてきて、偶然知り合いに会ったことがなかった。連絡をくれて待ち合わせたり、知り合いが住んでいる付近を通るときにこちらから連絡を入れることはあったが、偶然出会うためには相当な確率を突破しなくてはいけない。せめて谷さんが北九州在住ならばここまでは驚かなかっただろう。
 お互いに北九州には住んでおらず、さらに通る道が同じで、入った店が同じで、同じ時間帯でないといけない。それが連絡なしにとなると驚きは最高潮に達する。九州にほとんど知り合いがいないこともあってか、知り合いに会うなどとは露ほどにも思っていなかった。だから余計に驚いたし、とても嬉しかった。名古屋での生活を思い出した。しばらくぶりの人に会うというのは、いろんな記憶を内包する。思い出話もできるし、現在の話も未来の話もできる。特にこの新型コロナウイルスによる生活でしばらくぶりの人とは余計にご無沙汰している。だから偶然会えたことに、この上ない喜びを感じて、なんだか涙が出てきた。
 もしコロナでなければ一緒にご飯でも食べたかったが、仕方がない。名残惜しい気持ちはあるが簡単に立ち話をして握手をし、別れた。

 個人的に、「行く道」よりも「かえり道」のほうが短く感じる。なぜだろう。行きの未知な時間はどのように体力配分をしていいのか分からない中歩き続けるが、帰りはそれがインプットされているからだろうか。ここに行くまで店はないだとか、階段があるだとか、坂だとかいろんな知識を身体が覚えているみたいだ。

 夕暮れ。九州は山口県よりさらに日が暮れるのが遅い。17時でも普通に明るい。まるで夏の時期のようだ。まだ門司港には着かない。今朝の谷さんと偶然再会したことに浮かれすぎて前半で体力を使い切ってしまったのか、眠くて眠くて仕方がなかった。
 向かいの信号が青になり、ランドセルを背負った女の子がこちらに向かって歩いてきた。女の子にとって危なくないように足早に通り過ぎようとしたところ、後ろから声をかけられた。「あの、手伝いましょうか?」ずいぶんと低い位置から可愛い声がするので、いやまさかと思い振り向くと、先程の女の子だった。
 私は日差しが強かったのでサングラスをかけ、マスクをし、片手に木材を持っている。防犯ポスターに出てくるような絵に描いた不審者のような格好だ。驚いてあわてて、せめてものサングラスを外した。
 「でもね、この木すごく重いから大丈夫だよ。ありがとうね。」となんとか声を発する。頼む、これで立ち去ってくれ……と心の中で思う。女の子は「大丈夫ですよ。」と言い、地面と接地していた木材の端をひょいと持ち上げてしまった。えええっ。私はますます驚いた。そして心の中で「私は大丈夫じゃないんだけどなあ。」と思いながら「ほんとうにちょっとだけでいいからね。」と言い、少しの間小学生の女の子と木材を持って歩くことになった。ごくたまに「一緒に手伝いましょうか?」と声をかけてくれる人がいるが、その中でもとびきり最年少である。そしてどこからどうみても下校途中である。こんなところを地域近隣住民が見たらギョッとするのではないかと思い、気が気ではない。
 女の子は片手に水筒を持ち、もう片手で私の木材を持っている。片手で持っているのに、私の持っている側に全然負担がない。むしろ女の子の方がずしっと持ってくれているような気がする。力持ちなことにも驚いた。見る限り高学年ではなさそうだ。3〜4年生くらいに見える。ここで無言で歩くわけにもいかないし、かといって私が女の子の素性を知っていいはずがない。なので相手の個人情報がわからないようなさしあたりのない話題に努めた。「お母さんが心配するかもよ?」「いや、この話をしたら大丈夫だと思います。」と言われ、いや、外見とか状況とか話せば話すほど余計に心配するでしょ!と心の中で思った。自分の子供に「さっき下校途中にね、すごく長い木を持って歩いている人がいたから一緒に持ってあげたんだ〜。」とか言われたら「へえ、優しいのね。いいことしたね。」の前にえっ?どういうこと?大丈夫なの?と親なら思うのではないだろうか。とてもビクビクしながら歩いた。
 途中で女の子が道を曲がるというので別れることになった。「ありがとうね。気をつけてね。」と言うと、女の子はこくんと頷いて走り出した。彼女の姿が見えなくなるまで手を振って別れた。

 とても嬉しくてひやひやする体験だった。自分がどう見られているのかを今日ほど気にした日はないだろう。

 小学生の女の子と別れて時間がたたないうちに、道の向かいから「おーい」と声をかけられた。歩みを止めるとおじさんが横断歩道を渡ってこちらに来る。片手にタブレット、黒いポロシャツにキャップを被り、紺のクロックスを履いている。「Facebookを見ました。写真撮ってもいい?」と言われ、快諾した。
 「あの、Facebookを見られたということは、私をどこかで実際に見かけたりされたんですか?きっかけは……?」と聞くと、「知り合いが見たって教えてくれたんですよ。」と言う。「そのお知り合いっていうのは北九州の方ですか?」「そう、女の人でね、双子の子供……」と言われて、心当たりがあった。そういえば2、3日前に私のFacebookページに知らない人からコメントがあった。「車であなたを見かけました。乗せてあげようと思ったけど、木材があまりに長いので断念しました。」という内容だった。あの人の知り合いか!と思い、「ではお知り合いの方にもよろしくお伝えください。」と言って別れた。

 またしばらくすると私の前に黒い車が停まる。先程のおじさんだった。「あのね、僕このへんの店でコーヒー飲んどったんだけど、知り合いにあなたのこと話したらね、一緒にコーヒーでも飲みませんかっちゅうわけよ。だからその店まで送るから飲みにきませんか?」と言われた。私はいいですよと答え、先程歩いたばかりの道をおじさんの車で引き返すことになった。
 店の前に車が停まると、中から女性がでてきて出迎えてくれた。「どうもすみませんね、先程あなたのビデオを見させてもらっていました。さあ、どうぞ中へ入って。消毒もしてね。」と言われ、消毒液のポンプを一回プッシュする。お店は珈琲店かカフェかと思ったら、骨董や絵が所狭しと置かれていた。どうやら画廊らしい。私は社会人になりたてのほんの少しの期間画廊で働いていたこともあり、その雰囲気を察した。女性は画廊のオーナー。そして先程連れてきてくれたおじさんはこの画廊の常連さんらしいのだ。

 色々となぜ木材を持って歩いているかや、なぜ北九州なのかなど、ひとしきりに質問を受け、ひとつひとつ答えていく。質問はおもに女性がして、おじさんは後ろからずっとカメラで私たちを撮影していた。おじさんは「ここにあの人も呼ぼう!絶対喜ぶから。」と、私を2、3日まえに見かけてFacebookページにコメントをくれた女性に電話をかけ始めた。しばらくしてもう1人の女性が画廊にやってきた。この方が私を直接見かけた人らしい。おじさんとは仕事場の同僚だとのこと。彼女は私に会いたがっていたという。「見かけた後にね、どうしても忘れられなくて、友達から同僚からいろんな人に『長い棒を引きずった人がおったんよ〜!』と話してたんですよ。で、みんなが『それって春によく出る変出者じゃないの〜』って言うもんで。でもね、服装にちぐはぐ感がなくて、キョドキョドもしてないし、変出者とはなんとなく違う感じがするって思ったんですよね。それで友達とあの人は変出者か否かっていう議論をしてたんですよ。そんで同僚とかにも、もし見かけたら教えて〜って言ってて。ネットで検索したらね、あなたのページが出てきてアーティストだって。ああ!なんであのとき話しかけなかったんだろうって後悔してたんです。あ〜会えて嬉しい。」と言う。私を連れてきたおじさんが「そうそう、その話俺も聞いてたもんだから、あなた見たとき、あ!あの人じゃないの?って思ったんだよ。」と、合いの手を入れる。
 次々と飛び交う3人からの質問に答えているうちにどっぷりと日が暮れて20時になった。おじさんは私の回答を手帳にメモしていた。3人に今日の午後に摘んだ四葉をプレゼントした。そして記念写真を撮ろうということになって店前で変わるがわるに写真を撮った。「また北九州にくることがあれば連絡ください!」と言われお互いに名刺交換をした。
 日が暮れてチェックインが遅れていたこともあり、今度は私に会うことを切望していた女性の車に乗ってホテルまで連れて行ってもらった。

 今日は立て続けに思わぬ出会いがあり、ホテルに着くとすぐに眠ってしまった。


780mのための70km

2021年4月27日(火)
曇り。気温15℃。体温36.1℃。 木材の長さ3560mm 福岡県北九州市ー山口県下関市

 ついに門司港まで戻ってきた。いつものように木材の長辺をメジャーで測る。3560mm。関門トンネルに行くための、地下まで続くエレベーターで詰まった時の長さは3660mm。目分量であと2cm。あと2cm短ければ木材は地下エレベーターを降りることができた。
 その2cmのためにこの3日間は北九州を歩き回った。その距離70km。10cm削れた。これなら流石に余裕をもって、エレベーターの中に入ることができるに違いないと思った。違いないのだが、妙に緊張する。もしまた前と同じようにエレベーターを出ることができなかったら。地団駄を踏む、泣いて喚く、本当にノコギリで木材をカットしてしまう?いろんなことを想像した。心臓が早くなる。手がじっとりとしてきて、風が吹き抜けるたびに、ひんやりと冷たくなっていく。何をこんなに緊張しているんだろう。10cmもあれば余裕なのに。
 昨日出会った人たちに、朝方の関門トンネルは通勤通学者たちでごった返すと聞いていたので、その時間を外すために9時ごろに出発した。私は緊張をごまかしたくて大きく何度も息を吸った。風が冷たい。この間まで太陽に照り付けられながら歩いていたのに、急に寒くなってしまった。4月の下旬なのに。

 門司港の外周に沿って歩き、関門橋が見えてきた。散歩コースとしては申し分のない絶景である。海を挟んで反対側の下関を眺められる。本州と九州を「歩いて」渡ることになぜここまでこだわるのか自分でもよく分からない。分からないけれど、歩かないといけない気がするのだ。ジョギングの人が私を追い越していった。「エレベーターから降りられない!」と騒いでいた場所が北九州側から肉眼ではっきりと見えた。九州まで歩いて行けなかったけれど、本州まで歩いてかえるんだ。

 エレベーターの前まで来た。係の人がいる管理室の場所はブラインドが下がっており、係員がエレベーターに乗る人たちを監視しているわけではなさそうだった。これなら木材をエレベーターに入れようとしているところを注意されることはないだろう。下関側のエレベーターでは係の人がむしろ助けてくれたからといって、全員が全員そういうわけではないと覚悟していたので、ほっとした。
 生唾を飲み、エレベーターのボタンをゆっくりと押す。地下から地上にエレベーターが上がってくる。ドアが開くと同時に、さっと木材をエレベーターの中に入れ込んだ。するっと木材は入る。余裕を持って。よし、ここまでは大丈夫。反対のドアが開いたときに木材は取り回せそうか?木材を前後左右に振る。取り回せる!やった!すっと地下エレベーターのドアが開いた。ゆっくり、慎重に木材をドアの外へ滑らせる。
 床はレンガ色のよく陸上競技場のレーンに使われる柔らかい素材できており、向かって右側の壁には観光客向けのご当地グルメや観光名所を記したパネルが展示されていた。向かって左には道が続いている。これがこの数日通りたくて仕方がなかった関門トンネルである。
 観光名所を示した解説パネルにはこのトンネルの全長が780mであることが記されていた。たったの780mである。この780mを木材を持って通りたいがために70km歩いたのだった。床には「↑下関」と書かれ、真ん中を一本の長い白線で仕切っていた。喜びと緊張を噛み締めながら一歩、二歩と歩き出す。ここは海の底。とはいえ、窓はなく、歩行者専用のトンネルなこともあり、とても静寂だった。水の音もしない。本当に海を渡っているのかどうか、歩行者はその体感を忘れてしまうほど普通のトンネルだ。海の中であることを意識させるためか、トンネル内の壁は、青いペンキのグラデーションで塗られ、気休め程度に魚と気泡の絵が描かれている。ペンキの安っぽい色が、トンネルの天井の蛍光灯で反射し、観光客が期待して通れば「なんだこんなもんか」と思わせるには十分な演出になってしまっていた。
 カラカラカラと木材の音がトンネル内に響く。私にとっては、たとえこのトンネル内の演出がどうであれ関係なかった。もっと長く歩いていたいような気持ちと、早く山口県につきたいという気持ちが入り混ざっていた。

 長くて短いような780mを堪能し、エレベーターに乗って地上に上がる。ドアが開くとそこは数日前に見たばかりの景色が広がる。何も変わらない。海底が暗かったせいか、曇りにもかかわらず、やけに外は明るく感じた。


私を覚えているのに木材のことを忘れている人

2021年4月30日(金)
晴れ。気温19℃。体温36.0℃。 木材の長さ3555mm 山口県下関市ー山陽小野田市

 雲の隙間から朝日が差し込む。路面は濡れていて、遠くの山は、もやがかかっている。今日はいつにも増して「朝の匂い」がする。雨上がりの匂いと、新芽の青っぽい匂いと初夏独特の太陽の匂いが混ざって、1日への希望を感じるような匂いだ。何度も息を吸い込みたくなる。特に快晴というわけではないのに、なんだか希望に満ち溢れている。

 今日は長距離を歩くこともあって6時15分には歩き始めた。
 長袖で歩いていることもあり、腕は白い。手の甲は日焼けをして手袋をしているみたいだ。野球部の日焼けのよう。外に放置していた木材は、水気を吸っており、いつもより引きずる時の音が小さい。水気を伴うと、木材はほとんど削れない。関門トンネルを渡り切ることができたので、もうどのくらい削れたかを気にしなくても良い。
 ここ数日の強風がさらに勢いを増している。しかも横風だ。せめて向かい風、追い風がいいのに。横風だと12フィート分の長さにもろに風を受けて煽られる。木材を必死に抱え込まないと、木材は車道に飛び出してしまう。背負っている荷物が重いこともあって、よろよろとする。
 童話「北風と太陽」の挿絵にでてきそうな、旅人が必死に北風に前傾姿勢で耐えるシーンを思い出した。もし北風と太陽の話が現実だとしたら、北風は頭がいい。空気抵抗を全面的に受ける横風を吹かせるのだから。そうだとしても冗談じゃないよ。やめてくれと思った。目の前の竹林から大量の葉がはらはらと舞っている。

 ふと何気なく足元を見ると、小さい生き物が道の真ん中にいる。よくみると亀だ。亀の赤ちゃんだ。大きさにして人間の人差し指の付け根から先までぐらいだ。小さい。甲羅に頭を隠して小さな手足がときどきピクリと動く。生きている。それにしても道の真ん中にいるのは危ない。ひょいと体を掴み、道の端に移動させた。近くに水場が見当たらないけれど大丈夫なのだろうか、と思いながら少し湿っていそうな土の上におく。また歩くと、今度は成長した通常サイズの亀がいた。一瞬なんだかわからないものが道にデンと横たわるのでびっくりしてしまう。今度は道の端にいたのでそっとしておいた。それにしても山口県は亀が多いイメージがあるなと思う。初めて広島県から山口県に入ったときも、川に大量の亀がいた。野生の亀だと思うが、捨てられた亀が繁殖したのか、在来していたのかはわからない。私は亀を飼ったことがないので亀と接する時の距離感がわからなかった。そっとしておこう。

 ふいに見えた公衆トイレに入ると風が強いせいか、とても忙しない音がする。バタバタと音がして、なんだろうなと天井に目をやるとツバメが巣を作って住んでいた。わ。この音か。今日はやけに動物に出会うなと思った。警戒心がつよいのか、私がトイレの扉を開けると一目散に飛び立っていってしまった。
 トイレに関して、今回歩き始めて一番感じていたことはトイレの荷物掛けの高さである。これは規定があるのかないのか、場所によってものすごく高い位置(175cm)くらいに設定されている。私が道中で一番最初にトイレを利用したとき、その荷物掛けに背負っているリュックを引っ掛けることに一番苦労した。リュック一つにすべての荷物を入れているため(今まではいくつかの荷物にわけて分散していたのを今回は一つのリュックにすべて詰め込んだ)ので推定15kgぐらいの重さになっていて、それを腕の力だけで175cmの位置に持ち上げるのは相当至難の技である。しかもトイレに入る時は当然トイレに行きたいので焦っている。だから、なかなかうまく荷物掛けに荷物を引っ掛けられない。これは身長が低い人やお年寄りにとっても負担が大きいだろうなと思った。
 初日〜3日目くらいまで、悪戦苦闘が続き、もっと筋力をつけたいなと思うようになった。しかし、4日目くらいから体が学習したのか、筋力はそのままで、身体全体を使って持ち上げることに成功した。するとなるほど、筋力うんぬんもあるに越したことはないが、それよりも身体の使い方だなと思った。テクニックの問題である。それからは比較的楽に荷物掛けにひっかけることができている。木材を持って歩いて5年目にしてようやく「トイレの荷物掛け不自由問題」に直面して気づいた「荷物掛けの適切な高さ」。まだまだ我が身に降りかからないとその不自由さを理解できない、自分の想像力の乏しさに反省した。

 午後になると風の強さが増して、いつの間にか「朝の匂い」もなくなってしまった。そして休憩していると、服の首元に引っ掛けていたサングラスが強風で飛んでいった。ええっ。と思うのも束の間、近くの用水路にカシャンと落ちてしまった。気分が一気に沈む。用水路の深さは私の背丈に近かった。げ。どうしようか。降りるのは降りれたとしても登れるのかが問題だ。あたりを見渡して、なにか……。低い段差があるのを見た。そこからゆっくり降りてサングラスを探す。踏んだら歪んでしまうので慎重に。幸い用水路に水は溜まっておらず、草がぼうぼうに生えていて、ゴミが投げ込まれていた。枝をかき分けると、草にサングラスがひっかかっていた。よし。先程の少し段差があるところに戻り、用水路を仕切る手すりに持ち合わせの荷紐を引っ掛けた。そしてそれをロープの代わりにつかみ、よじ登る。格闘すること10分ほどで登れた。すこし足を引っ掛ける場所があったおかげである。サングラスはフレームこそ傷ついたものの、レンズに支障なしで安心した。間に合わせのやすいサングラスではなく、眼鏡屋で度を入れてつくってもらったものなので、簡単には諦められない代物だった。

 いろいろと疲れたので、コンビニの脇に座って休んでいると「あら、またお会いしましたね。」と声をかけられた。顔を上げると、前もこの場所の同じところに座っているときに私に話しかけてくれたおばあさんだった。往路で会ったおばあさんに帰りも遭遇するとは。「これも何かの縁かしらねぇ、ところでこれなあに。」と木材を指さした。え。木材の存在を忘れているの?と思った。前回も私は木材を持っていたし、おばあさんには写真も撮ってもらったはずだ。今までこの「木材」はなんなのかを疑問視して声をかけられることしかなかったため、私の顔をたとえ忘れていたとしても「木材を持って歩いていた人」ということでセットで私のことを思い出す人ばかりである。なのに今回おばあさんは「私の顔を覚えていたのに木材の存在をすっかり忘れていた。」そんなこともあるのかと驚きながら、「これを持って下関と北九州のほうまで行ったんですよ。」と答えると、「まあ、そう。それは大変でしたねぇ。」と相槌を打った。「まあ、まだ大変でしょうけど頑張ってください。」と言われ、「ありがとうございます。前回もお茶とおにぎりをどうもありがとうございました。それではお元気で」と別れた。

 下り坂を慎重にくだりながら、日が西に傾くのを横目で眺めた。


人間は動物?

2021年5月2日(日)
曇りのち雨のち晴れ。気温15℃。体温 36.0℃。 木材の長さ3495mm 山口県山陽小野田市ー山口市

 最近の天気予報が外れに外れた。宿をとるタイミングと天気予報の詳細がわかるタイミングが難しい。昨日の時点で雨だという予報だったので宿を取ったのに、結局晴れて1日を無駄にしてしまった。今日は午前中ほとんど雨という予報だったが、これ以上休むわけにもいかずに歩くことにした。今日は29kmほど歩かないといけないので朝の6時には出発することにした。今日は朝の匂いがしなかった。木材を引きずる音もそんなに大きくない。西日本の朝も5:30には明るくなる。今年の5月は例年に比べて寒い感じがするが、少しずつ夏に近づいているんだなというのを感じる。

 歩いていくうちに川に出た。川からほんのり潮の香りがする。まるで海の匂いだ。海に隣接しているからだろうか。他の場所で川から海の匂いを感じたことがない。海のような川。でも、川の音がする。池や湖の音はチャポン、チャポンと建物に水が当たって戻されての音がする。川はサワサワという流れる音。海は波のザザーっという音。それぞれ違う。不思議な感じがする。私は水が好きなのかな。どうだろう。もともと海なし県の生まれ育ちなので水との関わりは薄い。でも異様に海に執着がある。漠然と「海はかえる場所」だと思っている。

 しばらくして、日が翳ってきた。そしてポツポツと小雨が降ったかと思うとザッと勢いを増す。「わ、しまった。思ったより早い。」と思いながら合羽を羽織り、リュックに防水カバーをつける。結局今日の天気予報は当たったようだ。結局そんなもんだよなあと思った。
 雨の日の歩きには散々連敗してきたのである程度の心得がある。まず絶対に快適に歩けることはない。なので何を最優先に守るか、が大事である。それ以外は諦める。私の場合は、「カバンに入ったPCを守ること」を最優先に設定している。PCは緩衝材で包み、防水ザックに入れ、さらに周りの荷物で厳重に囲う。
 ただ、靴を守る方法はない。今回登山靴はやめて通気性のよいメッシュ素材のウォーキング用スニーカーにしたため、むしろ雨との相性は最悪である。雨の日は登山靴の方が浸透力が少ない。ただ、メッシュ素材の靴は、乾くのも早い。なので、午後から雨が引けたときにスニーカーが復活することを期待して、今は歩く。

 少しして、信号待ちの車の窓が降りて、「君のことみたことあるよ。えーと、テレビで見た。その木ひこずってちびりよるんでしょ?(山口県の方言で引きずって短くするんでしょ?の意)」「本当ですか、そうです。そうです。」「がんばってね。」と言われて車は再び走り去った。実は私は今年の2月に山口県の萩市を木材を持って歩いていたところを県内のテレビ局に街頭インタビューされている。コロナ禍でイライラしたことについてのインタビューだったが、そのときの木材を持った私が珍しかったらしく、その本題と少しずれて、数分テレビで私の活動が紹介されたのであった。しかし、テレビ番組のほんの数分である。その数分をたまたま見ていて、そして覚えていた人がいるなんて、と驚いた。

 雨は、降るならずっと降っていて欲しいが、突然雲の間から晴れ間が出てきてピタッと止まり、ぐんぐん暑くなった。合羽は通気性が悪いので暑い。脱ぐ。歩く。またしばらくして雲が出て雨が降る。合羽を着る。止む。脱ぐ。降る。着る。止む。脱ぐ。を10分間隔で繰り返した。おいおい。この一連の作業だけで時間のロスがすごい。今日は29km歩かないとなんだぜ、と思うが、天気は都合を聞いてはくれない。路面は濡れて滑りやすく、歩道はぬかるんでいた。こうやって歩いている時、天気にも感情があるのかと思ってしまう。今日はだいぶ情緒が不安定ですね、そういうときもあるよね、でも泣きたいならなるべく一気に泣いて早く泣き止むほうがスカッとするよ、と思った。そんな声は届くはずもなかった。

 今日は歩き疲れたのか食欲が湧かなかった。それでも歩くためのエネルギーは必要なのでゼリー飲料を買って飲む。コンビニの広い駐車場の隅に座りながら。ゴールデンウィークなこともあり、バイクのツーリング団体が楽しそうに会話をしていた。道の交通量もやたらと多い。

 雨で湿りきった靴下を取り替える。ここで無視して履きつづけると足の皮がふやけてめくれたり、水膨れの原因になる。この道中で数足のくつしたの踵が擦れて薄くなっていた。今回で寿命かな、と思った。

 ここ数日間ホテルの分厚いベッドを使い続けていても、それがどんな品質のよいベッドでも落ち着かない。薄くて安物でも自分の布団が恋しい。それはなぜかと考えてみる。それは自分の匂いが染み付いているからだろうか。自分の形を布団が形状記憶しているのだろうか。自分の匂いの染み付いたもののほうが安心して眠れるのだとして、それを思うと人間もいかに動物的であるか(もちろん動物なのだが)を意識させられる。私は自分が動物であることを結構忘れている。たぶん多くの人が人間を動物という意識でみていないのかもしれない。歩いていると、人間の動物的な部分に直面したり、人間の無力さに気付かされることが多々ある。そこに毎回どきりとさせられる自分がいる。


歩き続けるから道になる/かえるためのみち

2021年5月3日(月)
晴れ。気温23℃。体温35.9℃。 木材の長さ3435mm 山口県山口市

 今日で帰還できるのに今日は歩きたくない。昨日の29kmでかなりの筋肉痛になった。体がだるい。起きられない。でもかえりたい。本来の予定よりも5日ほどおしている。早くかえりたい。

 しぶしぶ10時に外に出ると、駅前だがとても静かだった。ゴールデンウィークだからもっと賑わっているのかとおもいきや、みんな寝ているのか?それとも自粛しているのか?そよそよと涼しい風も流れてきて、歩きやすい。

 山口県に入ってからは木材の減り具合を気にしなくてよくなったので気楽だ。初日〜3日くらいずっと辛かったバックパックタイプの荷物を背負うのも慣れてきたのか、そんなに頻繁にバックパックを下ろさなくても大丈夫になった。
 コンディションとしては今が一番いい状態なのかもしれない。慣れるまでどれだけ我慢できるかがポイントのようだ。慣れるまで我慢というか、もう弱音を吐いたところでどうしようもない状態に追い込むという感じだろうか。しかし、色々やってみて、自分にはキャリーを引いて歩くスタイルの方が向いていることがわかったので、このバックパックタイプのやり方は今日が最後かもしれない。

 山口市の看板が見えると、安堵感がある。通りがかりの大きな公園では多くの家族連れがバーベキューをしていた。山口市内にはアミューズメントパークのようなものがないので公園が娯楽の一つとして賑わう。

 山口県には結構木製の電柱が現役で使われていて、その電柱を切り倒したと見られる跡をいくつか発見したりした。切り倒された木製の電柱が転がっていたのでそれを椅子がわりにして休む。今日は山が透き通って見えるので黄砂が少ないらしい。昨日の雨が影響しているのかもしれない。

 途中の歩道がいくつか、雑草が伸びきって人が通れなくなっている箇所があった。道は歩かないと歩けなくなる。植物のための道になる。人間が人間の住みやすいように作った分、人間が手を入れなくなれば植物が占拠していく。実は人間の余地は少ないな、と感じる。道は歩かないと、通らないと、道の機能を失ってしまうのだと思う。だからこそ道をつくるのならば、道を歩き続けなくては、通り続けなくてはならない。

 今回の道中を通して感じたことは九州への「行く」道は用意されておらず、九州からの「かえり道」は用意されていたという点だ。
 もともと2020年の今頃、このトンネルを渡って九州に行き、そして九州で暮らすはずだったのだ。新型コロナウイルスによって九州での住処がなくなり、それは叶わなかった。そのまま頓挫してしまった山口から北九州までの道を辿りなおす2021年。
 今度もやはり関門トンネルを通って九州に「行く」ことは叶わなかった。今度は木材の長さが合わずに。しかし、関門トンネルを使って「かえる」道だけは開かれた。これは2020年と2021年はたとえ同じ道のりだとしても全く違う意味を見せている。今の私には九州へ「行く」ことよりも本州へ「かえる」ことのほうが重要なようである。先は見えない。特に九州に同じように住む当てがあるわけではない。かといってすぐに九州に行くことになるかもしれないし、分からない。ただそれが「今」ではないのだろう。

 最終的に木材は225mm削れていた。ようやく家にかえって、空白のみちだった方面を振り返ると、やけにくっきりした街が見えていた。

山本千愛
Chiaki Yamamoto

1995年群馬県生まれ。2018年群馬大学教育学部美術専攻卒業。

2016年より「12フィートの木材を持ってあるく」というプロジェクトを開始。当初は自分の実感を伴って移動をしたいという理由で、自分ひとりで持ち運べるギリギリの重さや長さのものを探した結果、ホームセンターに売られている12フィートの木材に着手する。長期的に活動を継続する中で、家庭の解散や社会情勢に巻き込まれたり、通りがかりの人の協力を得たり、作者本人の想定し得ないエラーに直面していく。次第に生活と制作が切っても切り離せないものとなっていった。木材を持って歩く際、木材は道で削れていき、歩いた道のりを記録するものとして一役買っている。現在は群馬県から歩いて山口県にたどり着き、滞在している。

持ち歩いた木材、移動の道中を記録した映像や日記、スケッチなどを構成してインスタレーションを展開する。自身が被写体となるため、俯瞰で撮られた写真や映像は、道ゆく人に声をかけられた際に撮影を依頼している。

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