伊勢克也

  • 参加作家・団体

桃三ふれあいの家との交流記録

アーティストの伊勢克也は、TURN交流プログラムの一環で「桃三ふれあいの家」に定期的に通い、そこで過ごす高齢者と俳句や編み物、絵手紙などの活動を通して、対話を重ねてきました。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により施設に赴けなくなった2020年、オンライン会議ツールなどを介して交流を続け、「家」をテーマにしたワークショップも行われました。それぞれが語る「家」にまつわるエピソードから、一人ひとりの「生きること」の小さな差異が見出され、その複雑さから伊勢は社会の多様性のあり方を想います。

今回、交流の経験を通して、伊勢が思わずつくってしまった編み物や、交流を通して残された記録の断片やドローイングを紹介します。また、そしてワークショップで桃三ふれあいの家の利用者の手によってつくられた小さな「家」を、それに添えられた言葉とともに展示します。



「あみもの」

2020年春、僕は映画『男はつらいよ』を観ながら<あみもの>をしていた。何を作るでもなく編み針で毛糸を操っている毎日。勤務校のテキスタイル研究室から使わない手染めの毛糸を大量に手に入れていたので、材料には事欠かない。とはいえ、オモテ編みとウラ編みを習った程度、で、帽子しか編んだことがないので、編み上がっていくモノは筒状のかたちとなっていく。

そもそも編み物を始めたのは「桃三ふれあいの家」で月に1度行われる「手芸」のプログラムに参加したことにある。最初の編み目の作り方から教えてもらい、見よう見まねでやってみるのだが、なんとも上手くいかない。「手芸」は月に1度開催されるプログラムなので、それ以外の日は、帰宅のマイクロバスの待ち時間に利用者さんにお願いして教えてもらった。何度も編んではほどき編んではほどきを繰り返して、ようやく棒針編みとカギ針編みの基本にたどり着いた。

「パパったら、朝から晩までずっと同じ格好で同じ場所にいる」僕の様子を覗き見た娘が、『男はつらいよ』に登場するサクラが呆れた時に使う台詞のようにつぶやく。<あみもの>は危険だ。常習性がある。『男はつらいよ』は言わずもがな。
<あみもの>は毛糸と編み針に時間をあずけることができる。その後に編み物というかたちが現れる。あの去年のなんともしようのない時間を僕は<あみもの>にあずけてやり過ごした。<あみもの>をしている間は、なぜか人のことを想った。「桃三ふれあいの家」の利用者の方々のこと、両親のこと。人間をテーマに作品をつくろうかなと、ふと思った。



「家のワークショップ」

小さな家を作ることで、過去の記憶が小さな物語となって立ち現れてくる。
利用者のみなさんとの交流の僕の目的は、それぞれの人生を言葉にしてもらうことにある。ご本人の言葉で語られる物語を側で顔を見ながら聴く時間には、なんともいえない心地良さがある。そこには物語の醍醐味がある。
直接交流ができない状況が続いているので、小さな家を作りそれに匿名の手紙を添えてもらい、それを僕が読むというラジオ番組のようなワークショップを考えてみた。
少し手のかかるやりとりとなったが、読まれるということでまた違う展開が生まれる可能性が考えられる。また、施設スタッフからは普段聞かないようなお話を聞くことができて楽しい時間であったとの感想も。



伊勢克也

伊勢克也
Katsuya Ise

1960年 岩手県盛岡市生まれ
1986年 東京芸術大学 大学院美術研究科 修了

自然/人工物/メディア空間等さまざまな環境で発生し存在するモノやイメージが形作る形態をテーマに作品を制作し、さまざまなワークショップを行なっている。制作のためのプロジェクトや制作された作品は全て「Macaroni」という名称でまとめられている。個展やグループ展等で作品を発表。国内外のプロジェクトにも参加している。2012年からスタートしたポーランドでの日本庭園プロジェクト「Ogród japoński w Katowice」を継続中。現在、女子美術大学短期大学部教授 デザインコースメディア担当

桃三ふれあいの家
Momosan fureai no ie

「人と人とを繋ぎながら地域に根ざした福祉のまちづくり」を目指した高齢者在宅サービスセンターとして、2000年に杉並区の桃井第三小学校内に併設される形で始動。認定特定非営利活動法人ももの会によって運営され、現在は西荻窪の別の場所へ移転し、活動を続けている。音楽リハビリテーション、手工芸、書道、絵手紙、陶芸、俳句など複数のプログラムを取り入れ、利用者が自由に参加している。また、運営や食事づくりのノウハウとボランティアネットワークを活かすことで、暮らしやすいまちづくりに貢献することを目指し、2010年からはレストラン「かがやき亭」を展開。