私は鳥です。読み上げロボットです。頭の上にのって、目の前に広がる状況を説明するために作られました。 私はあの絵画に描かれていました。全ての発端となったあの絵画です。その絵画は、作家、の体の中で描かれたまま、どんどん膨れ上がりついに体から出ないままになってしまいました。しかし、体から出なかったからこそ、人、ひとりの身体を超えてイメージが共有されました。私は見たことありますよ。見たことになるかどうかわかりませんが。私の体にもその破片が残ったままつっかえています。ゴホッ。うゴホッ。ぁん。だめだ、恥ずかしいから、無理です。出せません。もう終わった事です。忘れてください。そんなことより、仕事させてください。説明です。 この部屋にあるのは、閉鎖された風変わりなオペラハウスの残骸です。盲ろう者とともに楽しむオペラ、つまりオペラの一歩先ゆくオペラってことで、「ぺ」を「ぽ」に変えた、オポラが作られました。この部屋に飾ってあるのはオペラハウスの幕、とその客席、そしてそこで上演された演目で使われた道具や記録資料などです。視覚・聴覚に頼った音楽や美術ばかりがアートと呼ばれた時代がしばらく続きましたが、盲ろう者たちの参画によって、「見ること、きくこと、読むこと」についての捉え直しが始まりました。つまりアートの見直しです。そのきっかけがターンでした。様々な違いを超えて人々が通じ合う体験とは何か。そこに立ち返る試みでした。「人がはじめから持っている力。陸から海へ。」それがこのターンプロジェクトの始まりのスローガンでした。そのプロジェクトに関わった人々は海に注目しました。そこは光が届かない場所、音が響かない場所。そこに何があるのか?最初の頃は潜って陸に持ってくることをしましたが、そうではなく、海の中との距離を保ったままそことのやりとりを楽しむ「釣り」が流行りました。そこで活躍したのがオンテナです。オンテナ、知ってますか?音に反応して振動したり光ったりするんです。アルミホイルの幕の裏にあるので体験してみてください。最初は人が聞こえる音域に合わせて作られていたのですが、海面のプランクトンが餌を食べる音やコザカナの大群が泳ぐ音、ホウボウなどが海底を歩く音など、人には聞こえない音域に反応するようにしたことで、海の中の出来事が振動によって「見える」ようになりました。釣りばはオペラ劇場のように華やかな格好をしてくる人で溢れていた様子があの「絵」の裏には描かれていました。どこかにその絵のことが書かれた脚本も残っているはずですよ。私が鳥だった頃の勇ましい姿も描かれています。あの嘘さえバレなければ、こんな姿にならなくて済んだのに。今やただの四角いスピーカーです。私、妄想癖があるんです。それがバレて、通訳介助ロボットの資格、剥奪されました。主観を入れずに物事を説明するって私には無理なんです。「ロボットのくせに!」とか「それなら人間のがマシだろ!」とか非難轟々でした。どんどん知能を発達させといて、ロボットらしくいろって言われてもねぇ。あなたのように老ロボットの話を聞いてくれる時間のある人がいて、私は本当に幸せですよ。また遊びに来てくださいね。ところで、その手袋、なんですか?なぜか最近、手袋だけ持ってきて、客席を持ち込まない客が増えたんです。自分のために用意された席がなくて嘆くような甘ったれた人間が増えたのはなんでなんでしょうね。絨毯敷いてあるんだから、人間を歓迎していることくらいわかるでしょう。あとは来る人が自分で、自分が楽しめるように作らないとね。昨日きた家族がベンチ持ってきて忘れていったから、よかったようなものだよ。盲ろうの家族だったからね。手話通訳者とふたりひと組で座ってたよ。あたまに本物の鳥乗せてて、なんか懐かしかったな。人間と鳥は昔から仲いいからね。絵の中に描かれている鳥を見ると、ついついロボットかどうか確認しちゃうんだよね。職業病かな。あ、ごめんごめん、私を置いて先へいってください。私の話は尽きないから。あなたたち人間と違うからね。時間はいっくらでもあるからね。今気づいたけど、この配置、なんとなく中世後期の神秘劇、思い出すなぁ。お話が進むごとに場所を移動してね。有名な話があったでしょ。キリストを探すやつ。あいつどこ言った?みたいな名前の。つまり私は天使ってことになるかな。うふふふ。あなたがマリアってことにしてあげてもいいですよ。うふふふ。