ジャジャジャジャーーーン。序幕。タイトルのお披露目。 ここに展示されている作品は絵画作品です。未来の風景を描いたものです。この作品を作ったターンラボメンバーの皆さんにこの絵画作品について説明していただきます。始まり、始まりいいい! 三科: 皆さん、盲ろうってご存知ですか?視覚と聴覚の両方に障害のある人たちのことです。そして、生まれながらにして、目が見えない・聞こえない人のことを先天性の盲ろう者といいます。生まれながらにして目が見えない・聞こえないってどんな感じでしょうか?想像してみましょう。どうやって世界を捉えているのでしょう?彼らにはどんな世界が見えているのでしょう?私は教育者としてたくさんの盲ろうの方たちに出会ってきましたが、まだまだわからないこと・知りたいことがたくさんあります。でも、わかっていることもあります。それは、私も彼らもこの広大な大地に、というのは大袈裟かな?このひろいひろい世界の中を共に、私と同様に暗中模索しながら、共に、生きているということ。そして、私が死んでからも、彼らが死んでからも、続いていく「世界」があるということ。そして、今、目と耳を閉じて、体の内側の音なき音に集中してみてください。心臓の鼓動や唾液を飲み込む音、全身をめぐる血液の流れ。この静かに騒がしい体内の振動が響き渡る空間は、どのあたりまで広がっていますか?あなたの、「私である」と思える・「私」の意識の輪郭はどんな形をしていますか? 三科は「私」の輪郭を全身全霊で想像し・想定し・意識の輪郭をゆっくりと想像力で撫で回している。集中しすぎてガイドどころではないので、ガイドが梶谷に替わる。 はい。梶谷です。専門は、哲学です。シュミッツという人の研究をしていました。今回ここに展示されているのは、そのシュミッツのいう「身体」によるオペラ、を上演する「オペラハウス」を描いた風景画だそうです。 シュミッツの言う「身体」は、目に見えない。物体のような明確な形を持たない。見ることも触れることもなく、体で内側から感じるもの。感じる対象というより、感じることそのもの、感じることにおいて現れ出る何か。広がったり狭まったりする。目をつぶった時に感じる体の広がり。緊張したときに小さくなり、リラックスしたときに大きくなる。人と一緒に何かすると、共鳴し合ってつながる。踊ったり見つめ合ったりすると、一つにつながり、駆け引きするように押したり引いたりする。広大な風景の中に溶け込んだり、音楽の中に飲み込まれたりする。感情に呼応するように動く。喜びと共に軽く浮き上がり、悲しみとともに重く沈み込む。お互い見えなくても、確かに感じる。シュミッツの身体とは、そういうたえず変動する共同の存在感そのもの。というのが シュミッツのいう身体論なのですが、それが歌ったり踊ったりするっていうのは、僕も想像したことがありません。どういうことなんでしょう。 梶谷はシュミッツの原書で富塚を仰ぎながら後退りし、机の上に座って、どうぞと合図を送り、作者の富塚にガイドのバトンを渡す。 この作品を作った富塚です。シュミッツの身体論、何度聞いてもしっくりくる。「障害」を発生させる「身体論」が常識とされていることのほうが違和感ありまくりです。もとい、 この作品は、ターンラボというこの展覧会のディレクターの森司の企てがきっかけで生まれました。 森です。かぶり気味で失礼します。森敦史という先天性盲ろうの方と出会って、その出会ったことのない存在感に、感動してしまって、盲ろうの通訳介助者の講習にも通って、いつか森敦史さんと触手わで、話せたらいいな〜なんて思ってなかなか手話の勉強が進んでいませんが。そんなことはどうでも良くって、この作品についてまず私がお伝えできることは、タイトル。ながいタイトルがあります。これがまた、わかる人にはわかる。わからん人にはなんのこっちゃ。読みます。 「このオペラは見えない。それは釣りをする時、魚がいても見えないのと同じ。このオペラは聞こえない。それは朝日が昇る時、地鳴りがしないのと同じ。ようこそ、これからのオペラハウスへ。大海を舞う魚のように、私たちを繋ぐ太陽のように、当たり前の日々を奏で続ける。」以上です。 ジャジャジャジャーーーン。第一幕。 (絵。風景画についての説明) 富塚です。皆さんに見せたい絵があるんです。でも、その絵は私の体の内側にあって、何度も取り出そうとしたのですが、私にはさわれるけれども、物理的に存在はしない物なんです。よく観てみたら、なんか面白い絵なんですよ。だからその絵を私が観て、詳しく説明しますね。 この絵は、たくさんの紙をつなぎ合わせて描かれています。その紙は、画用紙ほどざらざらではありませんが、ケント紙のようにツルツルではなく、サラサラとしていて触ると気持ちいい紙で、厚さはお菓子やシリアルの箱くらいです。その紙に、ボールペンのようなものでグリグリと勢いのある線で人々が集まって何かしている様子が描かれています。線はとてもリズミカルで、曲線が有機的で、描かれている人々はのびのびとリラックスしていて、騒がしくはなさそうですが、楽しそうです。よく見るとその人たちは、グループに分かれてるのかな?別れてるっていうほど離れてるわけではないのですが、さんよにんくらいの塊でそれぞれに何かしています。でも、それぞれの人の顔の向きがバラバラなんです。何ていうか、面と向き合っていない。一緒にいるんだけど、体の向きがあっちを向いたりこっちを向いたりしていて、背を向けているわけでは無いんだけど、話している相手のほうを向いていない。上を向いていたり斜め下を向いていたり。でも何か会話している感じはあるんです。表情を見ると、内輪な集まりではなさそうですが、協力しあってそれぞれ何かをやっています。例えば画面右側の一番手前に描かれている人たちは、ヨガのようなことをしていますね。いや、この人はポーズをとっているけど、他の人はストレッチなのかな?長いタオルのようなものを足にかけて引っ張りながら、あ、これよく見ると伸縮性がありそうだがら、ストレッチバンドですね。ゴムみたいな素材で伸縮性があるやつです。それを使ってストレッチをしているこの人の後ろにはもう一人、背中を押してあげている人がいる。 三科です。ちょっと待ってください。その人って両手で背中を押していますか? 富塚です。えーっと両手を背中に添えて、あれ、よく見たら右手は人差し指だけでした。指で背中を押してる感じ?で、左手も押しているというよりは肩の辺りにそっと手を添えて、撫でている感じですね。 三科です。それ、もうろうの人ですね。背中を押しているんじゃなくて、指で背中に文字を書いて状況を伝えているんですよ。肩に添えている手は「いいよいいよその調子」みたいなメッセージを伝えているんだと思います。細かくさすって撫でたりして、その場の様子を伝えることがあるんです。ストレッチしているその方が、もうろうの方なんだと思います。さっき、その絵に書かれている方たちの顔の向きがバラバラって言ってたから、もしかして、と思ったんですよね。目が見えない盲のかたたちは顔を向き合わせて話さないですから。触しゅわって言って手で手話を触って読み取るんですけど、触しゅわでの通訳をしてもらうときは、話している相手の方を見るのではなく、手話通訳者さんのほうを向きます。例えば自分から少し離れたところだけよく見えるかたなんかは、離れて手話で会話をしている可能性もあります。さっき富塚さんはうちわな集まりではなさそうって言ってましたが、もしかしたら盲やろう、もうろうの人たちが描かれているから「仲良さそうだけど少し距離がある感じ」に見えてるのかもしれません。あっち向いたりこっちむいたりしているって聞いて、もしかしたらと思ったんです。 なるほどー!そう思ってもう少しよく見てみてよ。あ、森です。富塚さん、頼みますよ。我々はあなたが伝えたことを信じて想像するしか無いんですから。あなたの解釈が間違ったら間違ったまま理解してしまう。 富塚です。そうなんですよね。だからもうろうの人にも、できるだけ通訳者の解釈を通さずにこの作品を見てもらいたいと思って、この言葉で伝える方法にしているんだけど、私の作品だからと言って作者である私が全て把握できるわけでもないから・・・どうしたらいいんだ。 言いながら富塚はヘラヘラと笑っている。「直接、その人の感性で捉えたものだけで鑑賞してもらえる作品を作りたかっただけなんだけど・・・。」とか「自分があまりに「視覚」と「聴覚」だけに頼って生きてきているからダメなのかな、、、」とかぶつぶつ言っていると、森司に「言い訳してないで早く説明しろ」と突っ込まれ、言い合いをしていると佐藤が割って入ってくる。 大丈夫だよチョリ。あ、富塚さんか。今までのところでわかったんだけど。対話型鑑賞ってあるじゃない。絵画とか作品を一人で観るんじゃなくて、何人かで観て対話しながらその作品を鑑賞する、あれでやればいいんだよ。「対話型制作?」みたいな感じで。 富塚は「そうなのかな・・・」と言う表情だがまだしょうか不良な様子。一方、佐藤は自信ありげ。 じゃぁ、まず僕やるね。 ジャジャジャジャーーーン。第二幕 (オペラハウスについて) 改めまして、佐藤です。このターンラボのメンバーで、建築家です。 これからタイトルに出てきた「オペラハウス」について説明します。 この絵は、未来のオペラハウスを描いたものなんです。でも建物的なもの、壁や床はどこにもありません。所々にふんわりとタープのようなものがかかっていたり、大きな木が屋根のよう雨を凌いでいたりはしますが、柱もなければ天井らしきものもありません。でも絵の一番左側に奇妙な形をしたモニュメントというか大きな彫刻作品のようなものが描かれています。そこからロープのようなものが出ていて、いくつかの杭で支えられたそのロープを辿っていくと、また別の彫刻がある。これがオペラハウスの空間を示す目印になっているんです。例えば一番左にあるのは出入り口やクロークの役割がある空間で、荷物を預けたりすることができます。で、ロープをつたってその次の彫刻がある場所はロビーやホワイエ、つまりみんなが休憩したり待ち合わせに使ったり社交をする場です。そしてその次の場所はふた方向にロープが分かれていて、お手洗いと客席につながっています。客席の続きがステージで、そのさきが大道具を置いたりする幕内や倉庫的な場所、その奥が楽屋、その奥が稽古ばになっています。この絵だと右側が、稽古ばで、さっきストレッチをしていたのがそこですね。壁がないから直接稽古ばにいったりすることもできるんだね。これは丘みたいな少し緩やかな凹凸のある地面なんだね。一見、山でみんなでキャンプしているような絵にも見えるよね。中央にテントみたいなものも描かれているし。 森です。未来のオペラハウスと言っているけど、いわゆる近未来的なツルッとしたハイテクなイメージではないよね。どちらかというとアウトドアなイメージだし、描かれている人たちは手で何かを摘んで料理をしていたり、縄を編んでいたり、体操していたり、かなりアナログだな。現代では実現できないような技術が描かれている感じはしないよな。でもタイトルに書かれているように「これからのオペラハウス」なんだよな。ふ〜ん。まだ追いつけない。 これ、僕の作品ですね!この、空間の目印に置かれているやつ。横に看板みたいのがセットで建てられているけど、この彫刻の部分は確かに僕の作品です。あ、橋本です。彫刻じゃなくって、あれは装置なんだけど。ま、いいとして、じゃぁこのロボットは、もしかして、やまつたさん? やまつた、ニヤニヤしている。 ジャジャジャジャーーーン。第三幕 (絵の中のサウナテントについて) 山蔦です。そうです。富塚さんに頼まれて作りました。 これは、富塚さん曰く、このテントはオペラハウスの観客席の一つらしくて、この絵の大部分を閉める中央のエリアは全て観客席なんだそうです。このかまくらも、このキッチンも、このベンチも、そのベッドやハンモック、このベビーカーや車椅子の人のあたりも、この屋台みたいなおじさんのところまで全部観客席で、未来のオペラハウスの客席は鑑賞のために必要な環境を各自が持ち込めるんだそうです。で、富塚さんはこのサウナテントとロボット2たいを一緒に持ち込みたいそうで・・・ 森です。ロボット2たいって?この人は人間じゃないの? 中心に座っているのが富塚さんで、その左側にいかにものロボットが座っていますよね。で、その右側の人は富塚さんの椅子がもう一人座れそうだったから座っちゃった知らない人、というか別のただの観客です。手話通訳者さんが隣に座って手だけテントの中に入れて通訳できるように、椅子がベンチみたいに長くなってるんです。皆さんが今この声を聞いている椅子みたいな形をしています。で、そのもう一つのロボットというのは富塚さんの頭の上に乗っている鳥です。この鳥は、目の前の空間にあるものを言葉に変換するロボットで、この鳥が見た世界を、この横にいるいかにものロボットが喋る。富塚さんはサウナテントの中にいて、テントは閉じてしまうので富塚さんから外は見えない。テントから顔を出しているこの鳥が富塚さんの目の代わりをしてくれて、その鳥がロボットに情報を伝えて、そのロボットが富塚さんに伝えてるんです。つまり私です。喋る時に、ロボットの顎がガタガタ動くことと、手が太腿を叩きながら喋るところがこのロボットの特徴です。 島陰です。私が作ったオトングラスの発展系と言うか、空間認識アンド雰囲気まで読んじゃう未来版ですね。 森ですけど、手話通訳者さんは蒸されないように外にいるわけね。しかも耳と目が不自由じゃなくてもその方法で見たいわけね。確かに慣れてくるとこの読み上げ機能も悪くないよね。それよりこの背景に書かれている釣りびとたちはなんでこんな華やかな格好をしているの?あれ、ただの看板かと思ったら、「新・新国立劇場はこちら」って書いてあるぞ! ジャジャジャジャーーーン。第四幕(ヒカる、釣りびとたちについて) ホンダ:森さん、それ、華やかな格好なだけじゃなくて、光ってるんです。 島影はなぜか納得して噛みしめながら、オンテナの発展系ですな、と納得している。 ホンダが「釣りばはこの絵の一番奥に描かれていますが、ここをめくると裏側に・・・」と言って絵をひっくり返すと裏側にも絵が現れる。 はた:陸から海へ、ターンですね、課長! はたは、目をまんまるく見開き、森のほうを見ている。森は子犬のように嬉しそうに、はねている。 ホンダ:画面の上のほうに書かれているのが堤防で、この劇場の観客席です。で、この絵のほとんどをしめる部分は海の中の様子が描かれています。この観客が洋服につけているブローチがオンテナの発展系のもので、プランクトンが餌をたべる音やホウボウなどが砂地を這う音などを感知して光ります。もちろん振動もあります。この婦人は三つの色のブローチをつけていますが、これは色ごとに水深が違います。水面に近いところと海底の音、そしてその間がじょう、ちゅう、げの三層に分かれています。この海には音を感知するセンサーが仕込んであって、人々はこの海の中の生き物との出会いを堪能する「釣り」を楽しんでいるんです。 この絵は右側から冬、春、夏、秋、となっていて、その時期の一番人気の、「スター」、が、描かれています。この絵の中央に書かれているこれがチヌと呼ばれている黒鯛です。で、この時期のお客さんは黒い上着に銀色のズボンやスカート、あるいはハイヒールを履いていますよね。この人たちは黒鯛のファンだと言うことがわかります。このスイカのワンピースを着ているかたもそうですね。黒鯛は好奇心旺盛な魚でなぜか水面にスイカが浮かんでいると食べに来たりするらしいんです。スイカを餌に釣ることもあるので、夏はスイカの帽子をかぶってきたり、ほら、売店では「見返りチヌ」がマスコットの、スイカジュースが売られています。 梶谷です。いや、ちょっと思い出したんですけど、チヌ釣りって聞いた話では、たくさん釣り方があって、その中でも爆弾釣りって人気の釣り方があるらしいですよね。基本的にチヌは海底近くにいて、海底にたどり着くまでにその餌が他の魚に食べられてしまわないように、その餌の周りに砂やぬか、あみえびなどを混ぜ合わせて比重を重たくしたものを団子状に握って沈めるらしいんです。で、その団子が海底で溶け始めると、その匂いに釣られて小さな魚が集まってくる。で、その団子をこざかながつつき始める。それがオペラの序章というのかな、うっすら、もやがかかってきて、何かが起きるぞ、という感じ。で、続いてアジやサバなど普段は上の方にいた魚たちがアミエビなどに気づいてそこをめがけて飛び込んで来る。するとさらに、そいつらに噛み砕かれた餌などが魚の往来によって宙を舞い騒がしくなってくる。そしてしばらくその様子を睨んでいたもう少し大きなボラなどの魚が数十匹の群れで押し寄せてくる。もうその時には勢いで海底が巻き上げられて、はじめにいたこざかななんかを払い除けておおあばれするらしいんですよ。で、ついに最初の団子が崩壊して内側に隠してあった餌が出てくる。そこをすかさずチヌが奪い去るわけです。その勢いよく奪い去る姿が「反転」と呼ばれていてあまりに美しいらしいんですよ。もちろん目には見えないけどはっきりと「見える」し「わかる」。だから「見返りチヌ」なんでしょうね、きっと。本田さんどうぞ。 いえ。その劇的な瞬間を釣りびとは一番の見せ場として待ってるんですよね、きっと。それにしてもその一連の流れを、釣りびとは、糸から伝わる振動で感じとるわけですよね。海の中の様々なドラマを、風の向きや匂い、ウミドリが海面をつく様子などを、様々な振動で感知して。魚のキャラクターとかに詳しくなっていくだろうし、本当に楽しそうですよね。 富塚です。ホンダさんにはシロギスふうの、光るラインの入ったジャージとか着て欲しいです。 三科です。このスイカジュースを運んでいる店員!もしかして、私の知ってるもうろうの子じゃないかな?床に頭をずーっとつけて歩いていた子で、ある日お盆を渡したらすっと立ちあがった子なんです。その子の顔とそっくり。 えー!そうなんだ。知らないことばかりでびっくりです。もうろうの人が、観客やパフォーマーになることはもちろん、裏のスタッフや売店とかでも働けるオペラハウスってどんなだろうってずっと考えていたけど・・・本当に不思議なんですが、私がみんなに見せたいと思っていた絵を説明しようとしていたら勝手にイメージが一人歩きして、むしろイメージが私に説明してくれている感じで、絵の裏側にこんな絵があるなんて知らなかったし。こういうのってどういう機能?なんですか?梶谷さん。 ん〜。でもまぁ不思議ですよね〜。でも、視覚や聴覚に頼らない時間で楽しめるものを探していくのは楽しそうですよね。それを生活に取り入れていったら、もうろうの人たちとも一緒に楽しめるだけじゃなくて、私たちの生活に想像する時間が増えそうだし、体もなんか喜びそうですよね。健康になれそう。 森が佐藤に「「国立」って書いてあるから、これは相当未来だよねぇ。」と話しかけて一旦気が済んだ空気になったので、そろそろと島影がみんなの視界に入る位置まででてくる。 島影:はい。縁も竹縄ですが、あの、よかったら僕の書いた脚本も立ち読みできますので、よかったら。次回の演目はこちらの戯曲になります。 ちょっと待って。森です。触覚や匂い、そして想像力を主に使う文化のものがこの絵には集められていて、盲ろうの人も当然楽しめるってのはわかったんだけど、裏の海の絵はさ、人間には見えない・聞こえない世界のパフォーマンスを最新のテクノロジーと釣り竿のアナログな感覚によって鑑賞するものなわけじゃない?表の山でやってた演目というか作品はなんだったの? 森さんが料理しながら見てたやつ? え?僕いるの?ちょっとホンダくんまた悪いけどひっくり返して。 あ、ほんとだ。料理しながらお酒飲んでる!ハハハ。あ、梶谷先生は机の上に寝転んでなんか食べてるし! あ、これ、富塚が前に言ってた「ポップコーン受け」じゃない? 梶谷さんともうろうのかたは、一緒にポップコーン食べながら観てるのね。で、ステージは?どこ? 佐藤です。画面中央より少し右側。文字がたくさん書いてあるところがステージですよ。朗読劇のようなものを上演していたみたいですね。台本が書かれてる。 最後のセリフ、森さんみたいですよ。 森です。で?わ?皆、さん。引き続きターンフェスを、ごゆっくり、お楽しみください。 以上で終わりです。これがその絵に書かれたステージ上の上演内容だったのだと思います。お疲れ様でした。また戯曲劇のオポラを鑑賞の際は私をお使いください。