TURN NOTES

井川丹
  • ヴォイス
  • その他
Photo:冨田了平

「TURN NOTE」とは、ノートとしての装いをコンセプトに、TURNの活動に関わるなかで生まれたさまざまな人たちの言葉を断片的に一冊にまとめた書籍です。一人ひとりの発見の瞬間や、葛藤、予感などに触れられるよう、発せられた時の言葉をできるだけそのまま収録しています。

2016年から2020年までの5冊のTURN NOTEに収められた言葉たち。それらに出会った作曲家の井川丹は、綴られた言葉を音楽として変換することを発案しました。「NOTE」という単語には、普段の耳慣れた「ノート」という意味のほかに、音、音符、音調といった意味もあります。

TURNフェス6東京都美術館でインスタレーションとして発表した本作では、2者の多彩な声色にのせられたTURN NOTEの言葉が、複数の音の重なりとともに空間に拡がり、それぞれ異なる形に姿を変えて、一人ひとりの身体を包む特別な体験を創出しました。

今回発表した音楽を本ページでも公開しました。どうぞ、それぞれの場所でTURN NOTESの音と言葉をお楽しみください。


声:田中俊太郎 渡邉智美
録音・音響:田中文久




序曲 umi:0:00~ [James Jack The Sea We See 2017 (excerpts)]
2016 TURNを考えたときの言葉:2:50~
2017 TURNにふれたときの言葉:29:32~
2018 TURNとつながったときの言葉:39:10~
2019 TURNとともにあるときの言葉:1:03:26~
2020 TURNをめぐる言葉:1:13:49~

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吃音 the mic プロジェクト

マチーデフ
  • パフォーマンス
  • その他

TURN交流プログラムに参加しているラッパーのマチーデフは、吃音 the mic(キツオン ザ マイク) というプロジェクトを今夏に実施しました。吃音症(*1)の人が発話の際に行っている工夫と、ラップの歌唱法に親和性があるのではないかというマチーデフ自身の気づきから、吃音症の人々とラップに挑戦するプロジェクトです。

30代までの若い吃音当事者による自助グループ「うぃーすた」関東グループと協働して実施したワークショップの様子をこのページにて順次紹介していきます!

(*1)吃音症:話し言葉が出てこない症状

実施協力:うぃーすた関東
リサーチ協力:吃音ラボ、東京言友会


吃音×ラップの可能性

「リズムを取りながら話すと言葉が出てきやすいんです」
たまたま見た動画の中で吃音当事者の方がそう話していて僕はハッとした。
リズムを取りながら話すって、それほぼラップじゃないかと。
もしかして吃音症状の軽減にラップは向いているのか?
そういえば吃音を持ったラッパーやアーティストも何人かいるし、吃音とラップは何か関係があるのかもしれない。
そう思って僕はこのプロジェクトを始めることにしました。
とは言え、吃音当事者でもない僕が、そんな思いつきだけでいきなり症状の軽減だとか仮説を並べるのは早合点が過ぎる。
このプロジェクトを始めるにあたり当事者の方にお話を伺ったり自分なりに調べてみたところ、吃音との向き合い方も人によって様々だという事がわかってきた。
だからまずは、このプロジェクトを通して吃音当事者の方と“言葉を発する喜び”を分かち合いたい。
リズムを取りながら話す“ラップ”という共通言語を使えばそれができる気がする。

マチーデフ



ワークショップ3回目(最終回) 2021.7.18

今回は小学生の男の子を含む3名の方が参加してくださいました。

今回のテーマは即興ラップ。
とは言えいきなり即興ラップに挑むのはさすがにハードルが高過ぎると思い、まずはスマホをモニターに接続して、アプリを使ったカラオケ大会からスタート。
もちろんただカラオケをやるわけではありません。
知らないラップの曲を入れて、モニターに映る歌詞を好きなようにラップするという、半即興ラップのような遊びから始めていきました。
徐々にリズムに乗って読む・しゃべる事に慣れてきたところで、いよいよ歌詞も含めた完全即興に移行。

①犬派VS猫派
②遊園地派VS水族館派
③マンガ派VSアニメ派

というお題毎に2チームに分かれて、ラップでディベートを行いました。
が、そう簡単にはうまくいかず…皆さんかなり苦戦しておりました。。笑

最近ではテレビ番組でも見かける事が多くなりだいぶ身近になった即興ラップではありますが、やはり実際にやってみると相当難しかった模様。
後半はちょっとづつ言葉を紡げるようになってきたものの、残念ながらそこで時間切れ。
無念。即興ラップの難しさと自分の力不足も実感しました。

ディベートラップバトルの後、参加者の皆さんとラップで感想を言い合った際の音源がこちらです(イヤホン、ヘッドホン推奨)。
↓↓

そしてワークショップ後には少し座談会も行いました。
こちらもぜひお聞きください。

※参加者の名前を言う箇所はプライバシー保護のためカットしております

この座談会の音源を聞いて、改めて興味深かったのが「吃音の種類によって語彙の引き出し方に違いがありそう」という参加者の言葉。
もしかしたら、それが個々のラップスタイルに影響したりもするのかな、とか思いました。
吃音とラップの重なる部分、まだまだ色々ありそうです。

ということで今回をもって全3回に渡るワークショップがすべて終了。
このプロジェクトを通して本当に多くの気付きを得る事ができました。
この場を借りて参加者の皆さん、ご協力いただいた皆さんに心より御礼申し上げます。
ありがとうございました!
また一緒にラップできますように!




ワークショップ2回目 

第2回目は作詞のワークショップを行いました。
まずはラップの作詞に欠かせない“韻を発想するコツ”からレクチャー。
最初はなかなか韻が出てこなかった参加者も、いくつかポイントを教えるとすぐに韻が出てくるようになりました。
僕はこれまでに何百人という方に同じように韻を発想するコツを教えてきましたが、今回はその中でもかなり飲み込みが早いなという印象を受けました。
その事を参加者に伝えると「吃音当事者は普段から言葉について考える時間が多いので、こういうのは得意かもしれないです。」との事。
吃音とラップにはそんな共通点もありそうです。

韻を発想するコツを掴んだら、今度は歌詞作りに挑戦。
ここでもまた新たな気付きがありました。
作詞の際、ラッパーはより気持ち良いリズムを刻む為に

・同じ意味の違う言い回しを考えてみる
・語頭に音を足して韻を発想してみる

といった工夫をする事が多いのですが、吃音当事者の方は自分が苦手とする発音を避ける為に似たような工夫を日常的に行っているそうで。
↑のような作詞に使えるテクニックに関しても難なく要領を掴んでいたのが印象的でした。

さて、そんなわけで参加者の方が書いたリリック(歌詞)がこちらです。
テーマは「吃音」。

 
 言葉出なくて息がつまる
 シーンと静まりかえるクラス
 ジロジロ感じるみんなの視線
 答えはわかるがこんなの言えん
 のどまで出てるがあと一歩
 真っ赤になってる顔きっと
 手でリズムとり絞り出す
 もう当てないでと祈ります

吃音当事者ならではの視点と思いが込められた8小節に仕上がりました。
次回はラップで会話する、即興ラップに挑戦です!




ワークショップ1回目 2021.7.2

初回は吃音当事者の方2名が参加してくださいました。
最初は少し緊張していた感じもありましたが、リズムに合わせて声を出すうちに自然と体も揺れ出して気持ち良いリズムを刻めるようになっていきました。
リズムゲーム「三連符しりとり」では僕が言葉につまり負けてしまいました…笑

最後は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をビートに乗せて自由に読むという即興ラップに近い事もやってみました。
参加者それぞれの個性、スタイルが光ってて大変興味深かったです。

ワークショップ終了後に参加者の方に感想を伺うと
「ラップをしている時は吃音の症状が出なかった」
「普段、歌を歌う時は吃音の症状が出ないけどラップでも出ないんだなと思った」
といった感想が聞かれました。
皆さんラップを楽しんでいただけたようで嬉しかったです。

次回は想いをラップにする、作詞のワークショップ。
果たしてどんなラップが生まれるのか。今から楽しみです。

マチーデフ
Macheedef

ラッパー、作詞家、ラップ講師
渋谷区生まれ幡ヶ谷育ち、メガネのやつは大体友達。1997年にラップを始め、オトノ葉Entertainmentのラッパーとして数多くの作品をリリース。2014年にソロとなりアルバム「メガネデビュー。」を発表。自主制作ながらiTunesヒップホップアルバムチャートで1位を獲得した。またCM、映画、テレビ番組等のラップ企画において作詞や監修を務めるなど “ラップクリエイター” としても精力的に活動さらに毎週複数の専門学校で授業を行う “ラップ講師(11年目)” でもあり、長年の経験で培った豊富なメソッドを活かしアイドルのラップ指導やAIラッパーの研究開発にも従事している。2019年、13曲入りのフルアルバム「メガネシーズン」を発表

https://www.macheedef.com

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世界を自分に取り戻せ

松本力×TDU・雫穿大学
  • その他

映像・アニメーション作家の松本力と、オルタナティブ大学「TDU・雫穿大学」の映像や美術のクラスを選択するメンバーは、TURN交流プログラムへの参加を通して交流を重ねてきました。「TDU・雫穿大学」には、不登校を経験した人、ひきこもりを経験している/した人、それぞれの生き方を探求している人など、さまざまな学生が通っています。彼らの交流を通して生まれたアニメーション「世界を自分に取り戻せ」は、「記憶の風景」をテーマに制作されました。本作タイトルは、雫穿大学の講座や研究ゼミで、自身の経験から生まれた問題意識を論文形式で発表する命題でもあります。松本は、それぞれの主体性から記憶を何度も再生して観ることが、自分と世界の関係性を対象化することにもなり、映像表現の象徴性や観点となると考えています。



作品の公開に向けて、アニメーション「世界を自分に取り戻せ」制作に携わったメンバーがそれぞれの発想したシーンのコンセプトや長期間の協同作業を通じて感じたことをコメントとしてお伝えします。


世界を自分に取り戻せ 松本力

世界を自分に取り戻す、というTDUのみなさんの命題を知り、ぼくもずっと考えつづけていたことを、これからも信じつづけなければならないと、その記しを憶う。
地平線をぐるりとみわたす場所にひとり、自分におりてのぼってくる天地の垂線の、四つの方角と五つの色と意味のオクタヘドロンのど真ん中から、なにをみているのか。
内から外へ外から内へ、自分がおもう自分のテッセラクトで、そのまなざしと声を響かせて、届く。
手と目と心で重なりあう、真実味という現実と世界という幻想が交わる彼方から、存在の有機的な情報を送受信する。
自分が灯した火の、のろしを未来からみる。両手を掲げ交叉させる、希望のXで、世界を自分に取り戻せ、と応答する。
さようならをいって、それからであうように、時間のあとさきなんて気にしないで、ふたたび、なんどもいうよ。
またね。


TDU・雫穿大学メンバーコメント


朝、この先にあるのは・・・・
TDUメンバー:ながはた ひろし

[アニメーションのコンセプト]
まだ小学校に入りたての小さい頃、毎朝学校に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。知らない人がいっぱい、恐い同級生がいっぱい、あんまり楽しくない授業がいっぱい。そんな学校に行きたくなくて、毎朝泣きそうになりながら行きしぶる僕を、母はなんとか行かせようとして、通学路の途中まで僕をひっぱって見送ってくれました。

ちょうど学校と家との中間地点、道のはじに立って僕を見つめる母を見ながら、行きたくない気持ち、でも行かなくてはいけないらしい、逃げられないという感覚。そのいたばさみになりながら、悲しさやさびしさ、恐さ、孤独を感じていた時の気持ちと光景をアニメーションにしてみました。

[交流の中での気づき]
自分の過去の感覚や印象に残っている光景をアニメーションとして形にする時、元々絵が苦手だという意識もあって、どうしたらいいかなかなか難しかったです。

でも松本さんにいろんなお話やアドバイスをもらうと、ちょっとずつイメージをひろげやすくなりました。しかも、自分の描きたいイメージをアニメにする時、表現しようとする時、細かい動きや“部分”を描くことが大事だったりするということも伝授していただいて、「なるほど!」という感じでした。

自分のイメージが形になっていくうれしさと楽しさ、そして形になったものによって逆にイメージや当時の気持ちが救われるような感覚がありました。不思議で、あたたかい気持ちになる時間でした。


もう見ることができないビデオテープ
TDUメンバー:トヨ マサトシ

[アニメーションのコンセプト]
母が撮影した自分と兄のビデオテープ、今は劣化して見えないテープ、そのテープには映っていなかった母を想像したら、イメージの中でカメラが母の方を向き、母が笑っていた事を作品にしました。

とにかく、枚数を描くこと、描くことで変わっていく事を見たかったです。

[交流の中での気づき]
今までアニメーションを作る事はあったが、「動いている」ように見ることがなかなかできませんでした。しかし、今回松本さんのお話を聞きながら、アニメを作り、「動いている」ように見えた。それは、沢山枚数を描いたこともありますが、松本さんが「語る」「見る」「アニメーションとは」などを自分なりに考え、自分の思いでとつなげて表現したことが大きいと思います。未来を変えることで過去を変えることができるという言葉は、とても強く印象に残っています。

松本さんの「視点が変化する」という言葉の意味を、松本さんのお話や、紹介していただいた映像などを含め、ずっと考えています。


あな
TDUメンバー:かや

[アニメーションのコンセプト]
10代のころ、心にあいた穴。ずっとあきつづけていて、その穴は寒くて冷たくて、孤独だけど、でも、安心しちゃって、外になかなか出られないという、私の穴。

さみしい穴だと思ってたけど、今回の制作で穴の中はキラキラしてみえた。

[交流の中での気づき]
制作過程で、はじめは流れが少し掴みづらく、混乱することもありましたが、アニメーションをどのように作るのか、実践しながら体験できたことが良かったです。

松本さんが一生懸命に言葉と感覚をつなぎとめようとしているのを肌で感じ、発見があり、刺激的でした。松本さんから、時間をつくるなど、色んな言葉をもらいました。


夢と友だちと私(と私)
TDUメンバー:山本 朝子

[アニメーションのコンセプト]
子どもの頃くり返し見ていた夢を基にしました。ストーリーというものではないので、どう作ろうか迷っていましたが、松本さんにご相談して、色んな視点に関心をはらってみてはどうかと提案いただいて、今の自分の関心を見透かされたかのようで、過去の夢という自分だけしか知らない世界に松本さんが舞い降りたような、とても不思議な気持ちになりました。

その中で発見したことがあります。

私のこの夢は、自分に起こっている気持ちや物事は、他者にとっては同じリアリティとは限らないんだ、という幼き頃の自分の、他者と分かたれる初めての驚きと悲しみの感触でした。

そして、年を重ねた今の関心は、分たれた他者と、また出会い直すということにあります。

「私の世界は私にしか見えないんだ」という幼き頃の衝撃体験と、「自分の視点を持ちつつ、他者の視点を発見し、世界と出会いたい」という今の自分の探求が出会った気持ちです。

時間を超えた自分との交流を、松本さん、TURNのみなさん、TDUの皆とできたことは、おそらくこの先も忘れがたい、とても面白いことでした。

[交流の中での気づき]
この抽象的な夢を映像化するのはどうかなーと思いつつ手探りで始めたのですが、松本さんとお話する中で、私がまだ意識化していない意図を汲み取ってアドバイスいただきました。なんかすごいことだなと感動してしまいました。

松本さんの作品はとてもご自分のコアな部分を抽出しているように感じますが、なのにも関わらず、“開かれた表現”という感じがします。松本さんにとって、他者と生きる、理解する、理解される、伝える、伝わる、ということはどういうこととお感じになられるのか更に聴いてみたいなと思いました。あと、ライフヒストリーも聞いてみたいです。松本さんがどうやって表現について深めていらしたのかをぜひ知りたい。

印象に残るお言葉がたくさんありました。


記憶の情景
TDUメンバー:小池 拓

[アニメーションのコンセプト]
心のどこかに残っている記憶を、心の中にもぐって、その場所をウロウロと散歩して感じた事、見えた物を表現しました。

[交流の中での気づき]
普段絵はよく描きます。アニメは静止画(普段の絵)と違って動きの要素があり、表現したいモヤモヤををどのように”動き”で表すか、そういう奥深さを感じました。コマ割りのドローイングアニメ、松本さんの製作される方法がすごく面白かったです。

コロナの中、制作に色々な段取りや準備をありがとうございます。
欲を言えば、松本さんと対面でもっとやり取りしたかったですが…。つまり、その位、刺激をもらえたという事です。またやりたいです。できることなら、もうちょっと余裕を持って制作できたらよかったです。


マンションと少年
TDUメンバー:山本 N&朝倉 景樹

[アニメーションのコンセプト]
10歳の少年が友達の家に遊びに行くためにJR洋光台駅前のロータリーを横切って歩いている。青く開けた空に、駅前のバスターミナル。駅の横には11階建ての大きな白いマンション。午後2時過ぎの光は明るく歩いている人の人数は多くない。ゆったりした雰囲気の駅前。

夕方、6時前。日が傾いてきていて、西の空には見事な夕焼け。広い空が大きく染まっている。急いで家に帰ろうと足早に、さっき通ったのと同じ駅前のロータリーに差し掛かる。広い空。帰路に就く大人たちが行きかう足取りは急ぎ気味に感じる。ふと頭を上げると、さっき見た、11階建てのマンションの大きな壁面が大きく目に入ってきた。しかし、くれないに染まって同じ建物と思えない印象だ。しかし、よく見ると建物が変わったのではなく、その壁が一面色が変わっている。塗り替えたのかとよくみるけれど、足場も工事の跡もなく、夕日で染まっているということに間違いない。その場を足早に帰宅する人にこのことを伝えたいけれど、そういうこともできる気がしない。このきれいな染まった壁と光を忘れないように、網膜に焼き付けたいとじっと見て、自分の家路についた。

季節は夏が終わり、涼しくなり始めた秋口。半ズボンに半袖、自分で作ったベージュのデニムのトートバッグを持っていた。場所はJR京浜東北線の洋光台駅(横浜市磯子区)。横浜の中心へ電車で十数分だけれど、のどかな住宅街。駅の南は駅前をちょっと過ぎると庭付き一戸建ての家がひたすら続く街。駅前のほんの数棟を除くとほとんど2階建てばかり。空の広いのどかな住宅街。

結構この時のことはよく覚えているような気がする。遊びに行った友達はM君の家。M君の家は駅の北側で5階建ての団地にあった。この団地は結構大規模で駅の南と北でちょっと世界が違う感じだった。M君と少年はリコーダーを吹く約束をしていて、トートバックにはリコーダーが入っていたのでした。ソプラノとアルトが1本ずつでしたね。アルトは買って間もなくでわくわくしていたころでした。

[交流の中での気づき]
山本菜々子:今回は前のコマを透かすことができず、うまく描けるのか不安だったけど、こういうやり方だからこそ作れる雰囲気とか、動きがあるんだとわかって幅が広がった感じがしました。松本さんのアニメの魅力がこういうところにあるんだなーというのも感じられて、誘ってもらえて本当によかったなと思っております…。

朝倉:幼少期の思い出を今の自分が表現することで過去の自分の記憶・感触が今の自分へと糸で繋げられるというように感じました。再びつながった自分が今をどんなふうに生きようか、と思えるところがとてもいい体験でした。

松本力
Chikara Matsumoto

絵かき、映像・アニメーション作家。

1967年東京生まれ。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン専攻卒業。

再生紙にコマ割りのドローイングを描き、透過光を加えビデオに撮る独自の手法でアニメーション作品を制作。国内外での展示、オルガノラウンジや音楽家VOQ(ボック)とのライヴで、映像と音楽の空間表現を20年以上続けている。また、手製映像装置「絵巻物マシーン」のワークショップ「踊る人形」を学校や美術館、滞在先など各地で行う。現在、創形美術学校アニメーション&コミック専攻、女子美術大学デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン専攻で、映像の講師を務める。

http://chikara.p1.bindsite.jp/

TDU・雫穿大学

TDU・雫穿大学は、その人自身の関心から学び、自分としての「生き方」「働き方」を模索できるオルタナティブ大学です。不登校・ひきこもりなど苦しさを抱えた若者も多く通い、自己否定感などを解体し自分の関心を探りながらさまざまなことを学び、その関心から始まる自分に合った「働く」「生きる」の形を実践的に創っています。

https://tdu.academy/

空白へとむかうみち[後編]

山本千愛
  • その他

プロローグ

私は2020年の5月より山口県民になった。

 同年の3月に愛知県名古屋市から福岡県北九州市に向かって12フィートの木材を持ちながら徒歩で引っ越しをしていたところ、新型コロナの影響を受け、福岡県で住む当てがなくなった。目的地と帰り道を失った私は、その時滞在していた山口県に住む、という全く想定していなかった選択をする。

 現在山口県の山口市に住んでいる。山口市から福岡県の北九州市までは80km。北九州市へ向かうことを断念して以来、なんとなく、山口市から西に位置する九州方面の道を歩くことができないでいる。山口市で生活しているとき、山口県の東側、私が歩いてきた広島方面は開拓できても、西には足を運べずに1年が過ぎようとしている。九州方面に道が続き、街が存在しているはずなのに、私には先が真っ白の空間のように見える。自分が歩くことを断念した道を易々と開拓できない気がしていた。

 私はこの空白になってしまった北九州市までの道を一年越しに更新したいと思っている。本州の端まで歩き、九州の土地に足を踏み入れてみたい。ただし、今回は引っ越しではなく、また山口市へ戻るつもりである。すでに北九州市は引っ越し先ではなくなっている。まだ新型コロナウイルスの懸念もある。これは2020年春の歩みの焼き直しだ。本州の端と九州の入り口はどんな街なのだろう。まだ見ぬ道への期待を胸に、予定調和にいかなかった2020年に向き合い、考える時間にすべく、今回のプロジェクトに《空白へと向かうみち》と名付けることにした。

[日記:北九州→山口]


1リットルのサービス

2021年4月24日(土)
晴れ。気温20℃。体温 35.9℃。 木材の長さ 3655mm 福岡県北九州市

 
 あと2cm短かったら。昨日の関門トンネルのエレベーターから地下道に出るためには、あと2cm木材が短ければよかった。またこの2cmが絶妙で、20km歩けば削れる長さである。これが10cm以上長かったら、簡単に諦めていただろう。あと2cmとなれば、歩いて短くして、何がなんでも関門トンネルを越えたくなってしまう。本当に「関門」である。

 つまりここからの徒歩は本来想定していない展開だ。九州に入ったらすぐに山口へUターンするはずだったのだ。歩く場所も番外編ということになる。ここまで来たのならいっそのこと九州の日本海を見てやろうじゃないか。
 北九州は山口県と違って、わりと大きな街のように見える。土日なこともあるが、歩道を結構多くの人が普段から行き交いしているようである。バスが発達しているのか、バス停が至る所にある。本数も1時間に何本かあり、時刻表が黒い文字で埋まっていた。この点も山口県とは大きく異なる。
 海にひらけた港なこともあり、釣り人が多かった。赤煉瓦づくりの建物が立ち並ぶ。ランナーも多い。
 それにしても暑い。ほとんど意地で歩いているようなものだ。
 地方性があるのかたまたまなのかは分からないが、北九州では柄の布マスクをしている人が多いと思った。そういえばちょうど去年の今頃は、使い捨てマスクが一切手に入らず、そしてまだ全員がマスクをしているわけではなかった。その代わりに布マスクが店頭に並び始め、いろんなバリエーションのお手製マスクが売られるようになった。
 確か去年の5月の下旬ごろにはマスクがようやく買えるような状況になったかと記憶している。そして秋口に布マスクよりも不織布のマスクのほうが飛沫感染の防止効果が高いとされ、皆つぎつぎに布マスクから不織布のマスクに切り替えていったのである。この一年で、だいぶ変遷していったことをぼんやりと思い出した。

 北九州は山口県の東側(周南、岩国など)にくらべてほとんど勾配がない。平地のように歩けるはずなのに、とても過酷に感じる。それはこの気温のせいでもあり、さらに言えば大きなバックパックを背負う方法が私に全く馴染んでいないからというのもある。これでも初日よりは慣れてきたが、辛いことには変わりない。
 ここ数日で分かったのは、なるべくリュックを体にピタッと合わせるようにリュックの紐を短くしたほうが良いということ。荷物が体に離れているほど重さを感じる。バックパックの重さ分、自分の体重が増えたと想定して歩くイメージだ。正確に測ったわけではないので分からないが、多分この荷物は15kgくらいあるのではないだろうか。自分の体重が15kg増えたらこんなに大変なのかと思った。あと、不思議なのは、荷物が重いので後ろに引っ張られるのかと思いきや、そんなことはなかった。むしろ左右によろよろする。
 今までは、キャリーに荷物を乗せ、キャリーに紐を括り付けて荷引馬のようなスタイルで運んでいた。その時、たまにすれ違う人から飲み物の差し入れをもらうことがあった。キャリーの時はそれが1リットルでも2リットルでも(当然物理的に重いが)なんとか運べた。もし今の状況で1リットルの水をもらったら死んでしまう、と思った。今ですら限界なのに。
 そして、ある和菓子屋に入った時にサービスで水を1リットル配っていた。私の格好が一見登山スタイルに見えるので、店員さんに「どうですか?」と言われたが、心苦しくも丁重に断った。ここには想像のずれがある。それが面白くもある。つまり私たちはなにか物事を想像するときに必ずなにかが抜け落ちているとも言える。想像と現実、当事者と非当事者など。そのずれがあるから想像は一人歩きを始めて、そして思わぬ展開に派生することがある。とても興味深い。私自身はもちろんのこと、想像と現実のギャップに毎回頭を叩かれてハッとする。木材を持って歩いているとそのズレを無言で木材が教えてくれる。

 ただ足を交互に前に出して進むだけなのにそれがなかなかできない。嫌々だったり、怒り混じりだったり、その他色々な感情を持ち合わせながら進む。残り5キロになるとようやく希望が見えてきた。


シャッターを切る関係性

2021年4月25日(日)
晴れ。気温20℃。体温36.0℃。 木材の長さ 3610mm 福岡県北九州市

 
 私は2019年に一度木材を紛失しかけたことがあり、それ以来宿泊をするときは、フロントに「木材を置かせてもらえないか」という旨を話すようになった。常々の疑問なのだが、チェーン展開をしているホテルは客の素性を詮索してはならないという決まりでもあるのか、一度も「その木、何に使うんですか?」と聞かれたことがない。チェックインの際に「車の利用なし」にチェックを入れているのにもかかわらず「3m以上の長さの木材を一本、私物で持ってきているのですが置かせてもらえませんか?」と言う。しかもその木は新品ではなくところどころ傷がついていて、さらになぜか両端が尖っている。この違和感、気にならないのだろうか。
 全く顔色ひとつ変えずにうやうやしく扱ってくれるホテルが多いのだが、今回泊まったホテルでは表情に露骨な不信感が出ていた。私が気をつけているのは、木材を持っていないときほど丁寧でハキハキ喋る客になること。そうすると多少怪しくてもその怪しさは薄まるのではないか、と勝手に思っている。スタッフの私と同い年ぐらいに見える女性が「お車までお持ちしましょうか?」と言ってくれた。「いえ、車がないので大丈夫ですよ。」と答える。彼女はギョッとして、そして戸惑ったそぶりを見せた。
 うーん、しまったな。実はこのホテル、2泊予約していて、あと一泊する。預かってもらった木材を一度取り出してもらい、また今日歩き終わったら預ける予定なのだけど、絶対に不信に思われているだろうな。ハキハキ喋ったつもりだけれど、ハキハキ喋るタイプの変な人だと思われたかもしれない。ホテル側からしても最初の1日目は「仕事で使うのかな?」と思うだろうが、2日目は「え、なんでまた持って帰ってきてんねん」と思うかもしれない。

 ホテルを2泊予約したことで、今日はバックパックの荷物をほとんど抜いて、軽い状態で歩くことができた。
 ホテルは黒崎駅の近くで、八幡駅から一駅の場所。私がここまで北九州を歩いているのはすべて関門トンネルを通って、歩いて九州と本州を渡るためなのだ。それならせっかくだから海も見たい、ということで北九州の海を見に行くことにした。北九州は港の貿易が盛んな町なこともあり、コンクリートで埋め立てられたいかにも「港」である。海岸までいくには遠回りをしなくてはいけなかった。寒さの中に入り混じる暑さが行手を阻む。荷物が軽いのが救いで、いつもよりも休憩を少なめにしながら歩くことができた。「なんだ、荷物がなければこんなに楽々歩けるのか。」と思った。私はどうして荷物がこんなに重くなるのか自分でよくわかっていない。そんなに多すぎるほど持ってもいないし、道で拾い物をしたら荷物は増える一方だしで、どんどん重くなることはあれど軽くなることがない。
 今日は風がやたらと強く、そして冷たい。私は薄い長袖の上に半袖を重ね着しているだけだったので、どうも冷える。お腹を壊すタイプの冷え。いつもの荷物の中に上着があるのだが、それをちょうどホテルの部屋にすべて置いてきたところだった。なんとタイミングが悪いのだろう。取りに戻るのも今朝のことがあるし、それ以前に面倒なので、諦めてちょっと早歩きをした。運動量を増やして体の熱を発して温まる作戦だ。

 休んでいると、どこからか遠くのほうで聞こえてくる鳥の鳴き声が、普段聞いている鳴き声と比べて格段に美しくてうまい音色だった。もしかして、鳥の中にも「歌がうまい鳥」「音程のとれない鳥」がいたりするのだろうか。それで言うとこの鳥は、鳥界の中でもソプラノ歌手のような立ち位置の鳥だろうな、と思って耳を澄ませていた。

 どんどん畑の田舎道に入っていく。人通りはもちろんなく、車も軽トラック以外見かけなくなってきた、そして風がどんどん強くなっていく。するとあるところで急に景色がスカンと抜けた。海だ。海が見える。この強風は海風か。海岸に着いた。海岸の看板を見てみると、この場所は玄界灘になる前のギリギリ日本海に属する海らしい。
 日曜日なこともあってか、サーファーで海は混んでいた。私は海の中でも日本海がとても好きだ。太平洋、瀬戸内海の砂浜が黒っぽいのに比べて砂浜が赤っぽい。初めて木材を持って歩いた海が日本海なことも理由のひとつかもしれない。
 そして九州の海は何より綺麗だ。驚くほど海の水が透明なのが目で見てわかる。青い部分が海だと思って近づくと足が濡れている。あれ?と思って足元をよくみると青い海の前によく見ないとわからないくらい透き通った透明の海水がある。それに気づかずに海に近づこうとして、もうそこは海だったというわけだ。メッシュ素材でできたスニーカーにはあっという間に砂と水が入り込んできた。冷たい。しまった。

 誰かに写真を撮影して欲しいなと思った。話しかけようにもサーファーたちは波に乗っているため、遠くにいる。サーフィンに夢中だからこちらを気にも留めない様子だ。
 誰かがこっちに歩いてくるのを待つしかない。しばらく海を眺めながら様子を伺っていると、奥の海岸から手前に向かって歩いてくるサーファーがいた。すかさず走って声を掛ける。「すみません、シャッターを切っていただくことできますか?」すこし怪訝そうな顔をしたのち、「あー、はい。」と了承してくれた。2枚ほど撮ってもらう。そしてすぐに「ありがとうございました」とお礼を言って終了。やはり、自分から声を掛ける場合はかなり難しい。なぜなら私のことを怪しいと思っているから。私は自分自身を俯瞰で撮影することができないため、人との交流は必要不可欠である。ただ、自分から話しかけることはよっぽどのことがない限りない。
 私に話しかけてくれる人というのは私に興味を持ってくれている人なので、撮影を依頼しやすい。やはり心理的距離がカメラの構図にも如実に現れたりする。さっきの私が声をかけたサーファーが撮影した写真は、今まで撮影してくれた人の中で一番遠い場所から撮影していた。本当はもっとこうして欲しいな、という構図や位置があったりするのだが、それを指定することすらできないほどに心理的距離を感じた。撮ってくれるだけありがとうございます、な状況なのだ。

 私が撮影を依頼するのはプロではない。その場にいた一般人である。
 よく雑誌のモデルがするような、どこか鋭い眼差しだったりカメラから目線を外したり、笑顔ではない表情だったりというのは、私にとってあまりリアリティがない。なぜなら、モデルが表情作りのプロでもあり、そこで求められている顔というのは非日常的な顔つきだったりするからだ。逆に私のように初めて会った一般の人に撮影を頼むときにそのモデルのような顔つきというのは、私と撮影者の間にある関係性では、できない。
 自分でも気づかなかったのだが写真を何枚か見ていると、シャッターを押す撮影者によって被写体である私の顔つきが全然違うことに気づいた。半笑いしてたり、口を真一文字に結んでいたり、満面の笑みを浮かべていたり、会ってその場で築いた関係性によって、表情が自然と変化しているのである。
 それもふくめて私は、自分が思っている以上に顔に感情がでやすいのだと思った。それは関係性のリアリティでもあるなと思った。今までずっとプロに撮影同行をしてもらったことはなかったが、これをプロに依頼していたら、私は別の意味で「作品としての表情」をつくってしまうだろうと思った。だからこの一般の人に撮影を依頼するというプロセスは、なくてはならないものなのだと理解した。

 海から上がるとき、砂による足のざらつきと、潮で髪がゴワゴワになるのを感じた。来た道を戻るとき、あの歌の上手い鳥はいなくなっていた。


“再び出会うこと”の渦

2021年4月26日(月)
晴れ。気温18℃。体温36.0℃。 木材の長さ3600mm 福岡県北九州市

 2日連続で泊まったホテルを出て歩き始める。今日はようやくUターンして門司港に向うつもりだ。門司港に戻ればちょうど70kmぐらい歩いたことになるので関門トンネルのエレベーターは余裕で入るだろう。

 外は風が冷たく、上着を羽織るも、歩き出すと暑くなる。休むと寒い。少し進んで上着を着て脱いでを繰り返す。
 途中、コンビニのトイレに寄ろうと思い、木材を駐車場の端に置き、店内に入る。自動ドアのすぐそばに立っていた人と目があった。ん?その人に見覚えがあった。しかしそんなはずはない。知らない人と目が合うにしては長いアイコンタクトだったように思う。一瞬フリーズした後、「もしかして、谷さん?」「うん。」「えー!なんでここに!?」そう、この人は谷さんといって、私が名古屋に住んでいたときに働いていた場所で、ずいぶんとお世話になった人だ。彼は愛知県在住のはずで、九州にいるなんて考えもつかない。「なんで!?ここに?」「いやそっちこそ。」お互いに連絡先は知っているが、連絡はとっていなかった。私は歩いている様子をSNSに投稿しているが、谷さんはそれを見ていなかったとのこと。仕事で北九州に4日ほど前に来たらしい。今日だけたまたま始業時間が遅く、その時間を使ってコーヒーでも一杯飲もうとバイクに乗っていたところ、木材を持って歩いている人物が見えたとのこと。私の活動を谷さんは知っていたので「え、山本じゃん、本当に歩いているんだ、しかも九州?」と驚いたそうだ。そして谷さんはコンビニに入ったところ、たまたま私もそのすぐ後にコンビニに入ったという次第である。
 私は今まで木材を持って歩いてきて、偶然知り合いに会ったことがなかった。連絡をくれて待ち合わせたり、知り合いが住んでいる付近を通るときにこちらから連絡を入れることはあったが、偶然出会うためには相当な確率を突破しなくてはいけない。せめて谷さんが北九州在住ならばここまでは驚かなかっただろう。
 お互いに北九州には住んでおらず、さらに通る道が同じで、入った店が同じで、同じ時間帯でないといけない。それが連絡なしにとなると驚きは最高潮に達する。九州にほとんど知り合いがいないこともあってか、知り合いに会うなどとは露ほどにも思っていなかった。だから余計に驚いたし、とても嬉しかった。名古屋での生活を思い出した。しばらくぶりの人に会うというのは、いろんな記憶を内包する。思い出話もできるし、現在の話も未来の話もできる。特にこの新型コロナウイルスによる生活でしばらくぶりの人とは余計にご無沙汰している。だから偶然会えたことに、この上ない喜びを感じて、なんだか涙が出てきた。
 もしコロナでなければ一緒にご飯でも食べたかったが、仕方がない。名残惜しい気持ちはあるが簡単に立ち話をして握手をし、別れた。

 個人的に、「行く道」よりも「かえり道」のほうが短く感じる。なぜだろう。行きの未知な時間はどのように体力配分をしていいのか分からない中歩き続けるが、帰りはそれがインプットされているからだろうか。ここに行くまで店はないだとか、階段があるだとか、坂だとかいろんな知識を身体が覚えているみたいだ。

 夕暮れ。九州は山口県よりさらに日が暮れるのが遅い。17時でも普通に明るい。まるで夏の時期のようだ。まだ門司港には着かない。今朝の谷さんと偶然再会したことに浮かれすぎて前半で体力を使い切ってしまったのか、眠くて眠くて仕方がなかった。
 向かいの信号が青になり、ランドセルを背負った女の子がこちらに向かって歩いてきた。女の子にとって危なくないように足早に通り過ぎようとしたところ、後ろから声をかけられた。「あの、手伝いましょうか?」ずいぶんと低い位置から可愛い声がするので、いやまさかと思い振り向くと、先程の女の子だった。
 私は日差しが強かったのでサングラスをかけ、マスクをし、片手に木材を持っている。防犯ポスターに出てくるような絵に描いた不審者のような格好だ。驚いてあわてて、せめてものサングラスを外した。
 「でもね、この木すごく重いから大丈夫だよ。ありがとうね。」となんとか声を発する。頼む、これで立ち去ってくれ……と心の中で思う。女の子は「大丈夫ですよ。」と言い、地面と接地していた木材の端をひょいと持ち上げてしまった。えええっ。私はますます驚いた。そして心の中で「私は大丈夫じゃないんだけどなあ。」と思いながら「ほんとうにちょっとだけでいいからね。」と言い、少しの間小学生の女の子と木材を持って歩くことになった。ごくたまに「一緒に手伝いましょうか?」と声をかけてくれる人がいるが、その中でもとびきり最年少である。そしてどこからどうみても下校途中である。こんなところを地域近隣住民が見たらギョッとするのではないかと思い、気が気ではない。
 女の子は片手に水筒を持ち、もう片手で私の木材を持っている。片手で持っているのに、私の持っている側に全然負担がない。むしろ女の子の方がずしっと持ってくれているような気がする。力持ちなことにも驚いた。見る限り高学年ではなさそうだ。3〜4年生くらいに見える。ここで無言で歩くわけにもいかないし、かといって私が女の子の素性を知っていいはずがない。なので相手の個人情報がわからないようなさしあたりのない話題に努めた。「お母さんが心配するかもよ?」「いや、この話をしたら大丈夫だと思います。」と言われ、いや、外見とか状況とか話せば話すほど余計に心配するでしょ!と心の中で思った。自分の子供に「さっき下校途中にね、すごく長い木を持って歩いている人がいたから一緒に持ってあげたんだ〜。」とか言われたら「へえ、優しいのね。いいことしたね。」の前にえっ?どういうこと?大丈夫なの?と親なら思うのではないだろうか。とてもビクビクしながら歩いた。
 途中で女の子が道を曲がるというので別れることになった。「ありがとうね。気をつけてね。」と言うと、女の子はこくんと頷いて走り出した。彼女の姿が見えなくなるまで手を振って別れた。

 とても嬉しくてひやひやする体験だった。自分がどう見られているのかを今日ほど気にした日はないだろう。

 小学生の女の子と別れて時間がたたないうちに、道の向かいから「おーい」と声をかけられた。歩みを止めるとおじさんが横断歩道を渡ってこちらに来る。片手にタブレット、黒いポロシャツにキャップを被り、紺のクロックスを履いている。「Facebookを見ました。写真撮ってもいい?」と言われ、快諾した。
 「あの、Facebookを見られたということは、私をどこかで実際に見かけたりされたんですか?きっかけは……?」と聞くと、「知り合いが見たって教えてくれたんですよ。」と言う。「そのお知り合いっていうのは北九州の方ですか?」「そう、女の人でね、双子の子供……」と言われて、心当たりがあった。そういえば2、3日前に私のFacebookページに知らない人からコメントがあった。「車であなたを見かけました。乗せてあげようと思ったけど、木材があまりに長いので断念しました。」という内容だった。あの人の知り合いか!と思い、「ではお知り合いの方にもよろしくお伝えください。」と言って別れた。

 またしばらくすると私の前に黒い車が停まる。先程のおじさんだった。「あのね、僕このへんの店でコーヒー飲んどったんだけど、知り合いにあなたのこと話したらね、一緒にコーヒーでも飲みませんかっちゅうわけよ。だからその店まで送るから飲みにきませんか?」と言われた。私はいいですよと答え、先程歩いたばかりの道をおじさんの車で引き返すことになった。
 店の前に車が停まると、中から女性がでてきて出迎えてくれた。「どうもすみませんね、先程あなたのビデオを見させてもらっていました。さあ、どうぞ中へ入って。消毒もしてね。」と言われ、消毒液のポンプを一回プッシュする。お店は珈琲店かカフェかと思ったら、骨董や絵が所狭しと置かれていた。どうやら画廊らしい。私は社会人になりたてのほんの少しの期間画廊で働いていたこともあり、その雰囲気を察した。女性は画廊のオーナー。そして先程連れてきてくれたおじさんはこの画廊の常連さんらしいのだ。

 色々となぜ木材を持って歩いているかや、なぜ北九州なのかなど、ひとしきりに質問を受け、ひとつひとつ答えていく。質問はおもに女性がして、おじさんは後ろからずっとカメラで私たちを撮影していた。おじさんは「ここにあの人も呼ぼう!絶対喜ぶから。」と、私を2、3日まえに見かけてFacebookページにコメントをくれた女性に電話をかけ始めた。しばらくしてもう1人の女性が画廊にやってきた。この方が私を直接見かけた人らしい。おじさんとは仕事場の同僚だとのこと。彼女は私に会いたがっていたという。「見かけた後にね、どうしても忘れられなくて、友達から同僚からいろんな人に『長い棒を引きずった人がおったんよ〜!』と話してたんですよ。で、みんなが『それって春によく出る変出者じゃないの〜』って言うもんで。でもね、服装にちぐはぐ感がなくて、キョドキョドもしてないし、変出者とはなんとなく違う感じがするって思ったんですよね。それで友達とあの人は変出者か否かっていう議論をしてたんですよ。そんで同僚とかにも、もし見かけたら教えて〜って言ってて。ネットで検索したらね、あなたのページが出てきてアーティストだって。ああ!なんであのとき話しかけなかったんだろうって後悔してたんです。あ〜会えて嬉しい。」と言う。私を連れてきたおじさんが「そうそう、その話俺も聞いてたもんだから、あなた見たとき、あ!あの人じゃないの?って思ったんだよ。」と、合いの手を入れる。
 次々と飛び交う3人からの質問に答えているうちにどっぷりと日が暮れて20時になった。おじさんは私の回答を手帳にメモしていた。3人に今日の午後に摘んだ四葉をプレゼントした。そして記念写真を撮ろうということになって店前で変わるがわるに写真を撮った。「また北九州にくることがあれば連絡ください!」と言われお互いに名刺交換をした。
 日が暮れてチェックインが遅れていたこともあり、今度は私に会うことを切望していた女性の車に乗ってホテルまで連れて行ってもらった。

 今日は立て続けに思わぬ出会いがあり、ホテルに着くとすぐに眠ってしまった。


780mのための70km

2021年4月27日(火)
曇り。気温15℃。体温36.1℃。 木材の長さ3560mm 福岡県北九州市ー山口県下関市

 ついに門司港まで戻ってきた。いつものように木材の長辺をメジャーで測る。3560mm。関門トンネルに行くための、地下まで続くエレベーターで詰まった時の長さは3660mm。目分量であと2cm。あと2cm短ければ木材は地下エレベーターを降りることができた。
 その2cmのためにこの3日間は北九州を歩き回った。その距離70km。10cm削れた。これなら流石に余裕をもって、エレベーターの中に入ることができるに違いないと思った。違いないのだが、妙に緊張する。もしまた前と同じようにエレベーターを出ることができなかったら。地団駄を踏む、泣いて喚く、本当にノコギリで木材をカットしてしまう?いろんなことを想像した。心臓が早くなる。手がじっとりとしてきて、風が吹き抜けるたびに、ひんやりと冷たくなっていく。何をこんなに緊張しているんだろう。10cmもあれば余裕なのに。
 昨日出会った人たちに、朝方の関門トンネルは通勤通学者たちでごった返すと聞いていたので、その時間を外すために9時ごろに出発した。私は緊張をごまかしたくて大きく何度も息を吸った。風が冷たい。この間まで太陽に照り付けられながら歩いていたのに、急に寒くなってしまった。4月の下旬なのに。

 門司港の外周に沿って歩き、関門橋が見えてきた。散歩コースとしては申し分のない絶景である。海を挟んで反対側の下関を眺められる。本州と九州を「歩いて」渡ることになぜここまでこだわるのか自分でもよく分からない。分からないけれど、歩かないといけない気がするのだ。ジョギングの人が私を追い越していった。「エレベーターから降りられない!」と騒いでいた場所が北九州側から肉眼ではっきりと見えた。九州まで歩いて行けなかったけれど、本州まで歩いてかえるんだ。

 エレベーターの前まで来た。係の人がいる管理室の場所はブラインドが下がっており、係員がエレベーターに乗る人たちを監視しているわけではなさそうだった。これなら木材をエレベーターに入れようとしているところを注意されることはないだろう。下関側のエレベーターでは係の人がむしろ助けてくれたからといって、全員が全員そういうわけではないと覚悟していたので、ほっとした。
 生唾を飲み、エレベーターのボタンをゆっくりと押す。地下から地上にエレベーターが上がってくる。ドアが開くと同時に、さっと木材をエレベーターの中に入れ込んだ。するっと木材は入る。余裕を持って。よし、ここまでは大丈夫。反対のドアが開いたときに木材は取り回せそうか?木材を前後左右に振る。取り回せる!やった!すっと地下エレベーターのドアが開いた。ゆっくり、慎重に木材をドアの外へ滑らせる。
 床はレンガ色のよく陸上競技場のレーンに使われる柔らかい素材できており、向かって右側の壁には観光客向けのご当地グルメや観光名所を記したパネルが展示されていた。向かって左には道が続いている。これがこの数日通りたくて仕方がなかった関門トンネルである。
 観光名所を示した解説パネルにはこのトンネルの全長が780mであることが記されていた。たったの780mである。この780mを木材を持って通りたいがために70km歩いたのだった。床には「↑下関」と書かれ、真ん中を一本の長い白線で仕切っていた。喜びと緊張を噛み締めながら一歩、二歩と歩き出す。ここは海の底。とはいえ、窓はなく、歩行者専用のトンネルなこともあり、とても静寂だった。水の音もしない。本当に海を渡っているのかどうか、歩行者はその体感を忘れてしまうほど普通のトンネルだ。海の中であることを意識させるためか、トンネル内の壁は、青いペンキのグラデーションで塗られ、気休め程度に魚と気泡の絵が描かれている。ペンキの安っぽい色が、トンネルの天井の蛍光灯で反射し、観光客が期待して通れば「なんだこんなもんか」と思わせるには十分な演出になってしまっていた。
 カラカラカラと木材の音がトンネル内に響く。私にとっては、たとえこのトンネル内の演出がどうであれ関係なかった。もっと長く歩いていたいような気持ちと、早く山口県につきたいという気持ちが入り混ざっていた。

 長くて短いような780mを堪能し、エレベーターに乗って地上に上がる。ドアが開くとそこは数日前に見たばかりの景色が広がる。何も変わらない。海底が暗かったせいか、曇りにもかかわらず、やけに外は明るく感じた。


私を覚えているのに木材のことを忘れている人

2021年4月30日(金)
晴れ。気温19℃。体温36.0℃。 木材の長さ3555mm 山口県下関市ー山陽小野田市

 雲の隙間から朝日が差し込む。路面は濡れていて、遠くの山は、もやがかかっている。今日はいつにも増して「朝の匂い」がする。雨上がりの匂いと、新芽の青っぽい匂いと初夏独特の太陽の匂いが混ざって、1日への希望を感じるような匂いだ。何度も息を吸い込みたくなる。特に快晴というわけではないのに、なんだか希望に満ち溢れている。

 今日は長距離を歩くこともあって6時15分には歩き始めた。
 長袖で歩いていることもあり、腕は白い。手の甲は日焼けをして手袋をしているみたいだ。野球部の日焼けのよう。外に放置していた木材は、水気を吸っており、いつもより引きずる時の音が小さい。水気を伴うと、木材はほとんど削れない。関門トンネルを渡り切ることができたので、もうどのくらい削れたかを気にしなくても良い。
 ここ数日の強風がさらに勢いを増している。しかも横風だ。せめて向かい風、追い風がいいのに。横風だと12フィート分の長さにもろに風を受けて煽られる。木材を必死に抱え込まないと、木材は車道に飛び出してしまう。背負っている荷物が重いこともあって、よろよろとする。
 童話「北風と太陽」の挿絵にでてきそうな、旅人が必死に北風に前傾姿勢で耐えるシーンを思い出した。もし北風と太陽の話が現実だとしたら、北風は頭がいい。空気抵抗を全面的に受ける横風を吹かせるのだから。そうだとしても冗談じゃないよ。やめてくれと思った。目の前の竹林から大量の葉がはらはらと舞っている。

 ふと何気なく足元を見ると、小さい生き物が道の真ん中にいる。よくみると亀だ。亀の赤ちゃんだ。大きさにして人間の人差し指の付け根から先までぐらいだ。小さい。甲羅に頭を隠して小さな手足がときどきピクリと動く。生きている。それにしても道の真ん中にいるのは危ない。ひょいと体を掴み、道の端に移動させた。近くに水場が見当たらないけれど大丈夫なのだろうか、と思いながら少し湿っていそうな土の上におく。また歩くと、今度は成長した通常サイズの亀がいた。一瞬なんだかわからないものが道にデンと横たわるのでびっくりしてしまう。今度は道の端にいたのでそっとしておいた。それにしても山口県は亀が多いイメージがあるなと思う。初めて広島県から山口県に入ったときも、川に大量の亀がいた。野生の亀だと思うが、捨てられた亀が繁殖したのか、在来していたのかはわからない。私は亀を飼ったことがないので亀と接する時の距離感がわからなかった。そっとしておこう。

 ふいに見えた公衆トイレに入ると風が強いせいか、とても忙しない音がする。バタバタと音がして、なんだろうなと天井に目をやるとツバメが巣を作って住んでいた。わ。この音か。今日はやけに動物に出会うなと思った。警戒心がつよいのか、私がトイレの扉を開けると一目散に飛び立っていってしまった。
 トイレに関して、今回歩き始めて一番感じていたことはトイレの荷物掛けの高さである。これは規定があるのかないのか、場所によってものすごく高い位置(175cm)くらいに設定されている。私が道中で一番最初にトイレを利用したとき、その荷物掛けに背負っているリュックを引っ掛けることに一番苦労した。リュック一つにすべての荷物を入れているため(今まではいくつかの荷物にわけて分散していたのを今回は一つのリュックにすべて詰め込んだ)ので推定15kgぐらいの重さになっていて、それを腕の力だけで175cmの位置に持ち上げるのは相当至難の技である。しかもトイレに入る時は当然トイレに行きたいので焦っている。だから、なかなかうまく荷物掛けに荷物を引っ掛けられない。これは身長が低い人やお年寄りにとっても負担が大きいだろうなと思った。
 初日〜3日目くらいまで、悪戦苦闘が続き、もっと筋力をつけたいなと思うようになった。しかし、4日目くらいから体が学習したのか、筋力はそのままで、身体全体を使って持ち上げることに成功した。するとなるほど、筋力うんぬんもあるに越したことはないが、それよりも身体の使い方だなと思った。テクニックの問題である。それからは比較的楽に荷物掛けにひっかけることができている。木材を持って歩いて5年目にしてようやく「トイレの荷物掛け不自由問題」に直面して気づいた「荷物掛けの適切な高さ」。まだまだ我が身に降りかからないとその不自由さを理解できない、自分の想像力の乏しさに反省した。

 午後になると風の強さが増して、いつの間にか「朝の匂い」もなくなってしまった。そして休憩していると、服の首元に引っ掛けていたサングラスが強風で飛んでいった。ええっ。と思うのも束の間、近くの用水路にカシャンと落ちてしまった。気分が一気に沈む。用水路の深さは私の背丈に近かった。げ。どうしようか。降りるのは降りれたとしても登れるのかが問題だ。あたりを見渡して、なにか……。低い段差があるのを見た。そこからゆっくり降りてサングラスを探す。踏んだら歪んでしまうので慎重に。幸い用水路に水は溜まっておらず、草がぼうぼうに生えていて、ゴミが投げ込まれていた。枝をかき分けると、草にサングラスがひっかかっていた。よし。先程の少し段差があるところに戻り、用水路を仕切る手すりに持ち合わせの荷紐を引っ掛けた。そしてそれをロープの代わりにつかみ、よじ登る。格闘すること10分ほどで登れた。すこし足を引っ掛ける場所があったおかげである。サングラスはフレームこそ傷ついたものの、レンズに支障なしで安心した。間に合わせのやすいサングラスではなく、眼鏡屋で度を入れてつくってもらったものなので、簡単には諦められない代物だった。

 いろいろと疲れたので、コンビニの脇に座って休んでいると「あら、またお会いしましたね。」と声をかけられた。顔を上げると、前もこの場所の同じところに座っているときに私に話しかけてくれたおばあさんだった。往路で会ったおばあさんに帰りも遭遇するとは。「これも何かの縁かしらねぇ、ところでこれなあに。」と木材を指さした。え。木材の存在を忘れているの?と思った。前回も私は木材を持っていたし、おばあさんには写真も撮ってもらったはずだ。今までこの「木材」はなんなのかを疑問視して声をかけられることしかなかったため、私の顔をたとえ忘れていたとしても「木材を持って歩いていた人」ということでセットで私のことを思い出す人ばかりである。なのに今回おばあさんは「私の顔を覚えていたのに木材の存在をすっかり忘れていた。」そんなこともあるのかと驚きながら、「これを持って下関と北九州のほうまで行ったんですよ。」と答えると、「まあ、そう。それは大変でしたねぇ。」と相槌を打った。「まあ、まだ大変でしょうけど頑張ってください。」と言われ、「ありがとうございます。前回もお茶とおにぎりをどうもありがとうございました。それではお元気で」と別れた。

 下り坂を慎重にくだりながら、日が西に傾くのを横目で眺めた。


人間は動物?

2021年5月2日(日)
曇りのち雨のち晴れ。気温15℃。体温 36.0℃。 木材の長さ3495mm 山口県山陽小野田市ー山口市

 最近の天気予報が外れに外れた。宿をとるタイミングと天気予報の詳細がわかるタイミングが難しい。昨日の時点で雨だという予報だったので宿を取ったのに、結局晴れて1日を無駄にしてしまった。今日は午前中ほとんど雨という予報だったが、これ以上休むわけにもいかずに歩くことにした。今日は29kmほど歩かないといけないので朝の6時には出発することにした。今日は朝の匂いがしなかった。木材を引きずる音もそんなに大きくない。西日本の朝も5:30には明るくなる。今年の5月は例年に比べて寒い感じがするが、少しずつ夏に近づいているんだなというのを感じる。

 歩いていくうちに川に出た。川からほんのり潮の香りがする。まるで海の匂いだ。海に隣接しているからだろうか。他の場所で川から海の匂いを感じたことがない。海のような川。でも、川の音がする。池や湖の音はチャポン、チャポンと建物に水が当たって戻されての音がする。川はサワサワという流れる音。海は波のザザーっという音。それぞれ違う。不思議な感じがする。私は水が好きなのかな。どうだろう。もともと海なし県の生まれ育ちなので水との関わりは薄い。でも異様に海に執着がある。漠然と「海はかえる場所」だと思っている。

 しばらくして、日が翳ってきた。そしてポツポツと小雨が降ったかと思うとザッと勢いを増す。「わ、しまった。思ったより早い。」と思いながら合羽を羽織り、リュックに防水カバーをつける。結局今日の天気予報は当たったようだ。結局そんなもんだよなあと思った。
 雨の日の歩きには散々連敗してきたのである程度の心得がある。まず絶対に快適に歩けることはない。なので何を最優先に守るか、が大事である。それ以外は諦める。私の場合は、「カバンに入ったPCを守ること」を最優先に設定している。PCは緩衝材で包み、防水ザックに入れ、さらに周りの荷物で厳重に囲う。
 ただ、靴を守る方法はない。今回登山靴はやめて通気性のよいメッシュ素材のウォーキング用スニーカーにしたため、むしろ雨との相性は最悪である。雨の日は登山靴の方が浸透力が少ない。ただ、メッシュ素材の靴は、乾くのも早い。なので、午後から雨が引けたときにスニーカーが復活することを期待して、今は歩く。

 少しして、信号待ちの車の窓が降りて、「君のことみたことあるよ。えーと、テレビで見た。その木ひこずってちびりよるんでしょ?(山口県の方言で引きずって短くするんでしょ?の意)」「本当ですか、そうです。そうです。」「がんばってね。」と言われて車は再び走り去った。実は私は今年の2月に山口県の萩市を木材を持って歩いていたところを県内のテレビ局に街頭インタビューされている。コロナ禍でイライラしたことについてのインタビューだったが、そのときの木材を持った私が珍しかったらしく、その本題と少しずれて、数分テレビで私の活動が紹介されたのであった。しかし、テレビ番組のほんの数分である。その数分をたまたま見ていて、そして覚えていた人がいるなんて、と驚いた。

 雨は、降るならずっと降っていて欲しいが、突然雲の間から晴れ間が出てきてピタッと止まり、ぐんぐん暑くなった。合羽は通気性が悪いので暑い。脱ぐ。歩く。またしばらくして雲が出て雨が降る。合羽を着る。止む。脱ぐ。降る。着る。止む。脱ぐ。を10分間隔で繰り返した。おいおい。この一連の作業だけで時間のロスがすごい。今日は29km歩かないとなんだぜ、と思うが、天気は都合を聞いてはくれない。路面は濡れて滑りやすく、歩道はぬかるんでいた。こうやって歩いている時、天気にも感情があるのかと思ってしまう。今日はだいぶ情緒が不安定ですね、そういうときもあるよね、でも泣きたいならなるべく一気に泣いて早く泣き止むほうがスカッとするよ、と思った。そんな声は届くはずもなかった。

 今日は歩き疲れたのか食欲が湧かなかった。それでも歩くためのエネルギーは必要なのでゼリー飲料を買って飲む。コンビニの広い駐車場の隅に座りながら。ゴールデンウィークなこともあり、バイクのツーリング団体が楽しそうに会話をしていた。道の交通量もやたらと多い。

 雨で湿りきった靴下を取り替える。ここで無視して履きつづけると足の皮がふやけてめくれたり、水膨れの原因になる。この道中で数足のくつしたの踵が擦れて薄くなっていた。今回で寿命かな、と思った。

 ここ数日間ホテルの分厚いベッドを使い続けていても、それがどんな品質のよいベッドでも落ち着かない。薄くて安物でも自分の布団が恋しい。それはなぜかと考えてみる。それは自分の匂いが染み付いているからだろうか。自分の形を布団が形状記憶しているのだろうか。自分の匂いの染み付いたもののほうが安心して眠れるのだとして、それを思うと人間もいかに動物的であるか(もちろん動物なのだが)を意識させられる。私は自分が動物であることを結構忘れている。たぶん多くの人が人間を動物という意識でみていないのかもしれない。歩いていると、人間の動物的な部分に直面したり、人間の無力さに気付かされることが多々ある。そこに毎回どきりとさせられる自分がいる。


歩き続けるから道になる/かえるためのみち

2021年5月3日(月)
晴れ。気温23℃。体温35.9℃。 木材の長さ3435mm 山口県山口市

 今日で帰還できるのに今日は歩きたくない。昨日の29kmでかなりの筋肉痛になった。体がだるい。起きられない。でもかえりたい。本来の予定よりも5日ほどおしている。早くかえりたい。

 しぶしぶ10時に外に出ると、駅前だがとても静かだった。ゴールデンウィークだからもっと賑わっているのかとおもいきや、みんな寝ているのか?それとも自粛しているのか?そよそよと涼しい風も流れてきて、歩きやすい。

 山口県に入ってからは木材の減り具合を気にしなくてよくなったので気楽だ。初日〜3日くらいずっと辛かったバックパックタイプの荷物を背負うのも慣れてきたのか、そんなに頻繁にバックパックを下ろさなくても大丈夫になった。
 コンディションとしては今が一番いい状態なのかもしれない。慣れるまでどれだけ我慢できるかがポイントのようだ。慣れるまで我慢というか、もう弱音を吐いたところでどうしようもない状態に追い込むという感じだろうか。しかし、色々やってみて、自分にはキャリーを引いて歩くスタイルの方が向いていることがわかったので、このバックパックタイプのやり方は今日が最後かもしれない。

 山口市の看板が見えると、安堵感がある。通りがかりの大きな公園では多くの家族連れがバーベキューをしていた。山口市内にはアミューズメントパークのようなものがないので公園が娯楽の一つとして賑わう。

 山口県には結構木製の電柱が現役で使われていて、その電柱を切り倒したと見られる跡をいくつか発見したりした。切り倒された木製の電柱が転がっていたのでそれを椅子がわりにして休む。今日は山が透き通って見えるので黄砂が少ないらしい。昨日の雨が影響しているのかもしれない。

 途中の歩道がいくつか、雑草が伸びきって人が通れなくなっている箇所があった。道は歩かないと歩けなくなる。植物のための道になる。人間が人間の住みやすいように作った分、人間が手を入れなくなれば植物が占拠していく。実は人間の余地は少ないな、と感じる。道は歩かないと、通らないと、道の機能を失ってしまうのだと思う。だからこそ道をつくるのならば、道を歩き続けなくては、通り続けなくてはならない。

 今回の道中を通して感じたことは九州への「行く」道は用意されておらず、九州からの「かえり道」は用意されていたという点だ。
 もともと2020年の今頃、このトンネルを渡って九州に行き、そして九州で暮らすはずだったのだ。新型コロナウイルスによって九州での住処がなくなり、それは叶わなかった。そのまま頓挫してしまった山口から北九州までの道を辿りなおす2021年。
 今度もやはり関門トンネルを通って九州に「行く」ことは叶わなかった。今度は木材の長さが合わずに。しかし、関門トンネルを使って「かえる」道だけは開かれた。これは2020年と2021年はたとえ同じ道のりだとしても全く違う意味を見せている。今の私には九州へ「行く」ことよりも本州へ「かえる」ことのほうが重要なようである。先は見えない。特に九州に同じように住む当てがあるわけではない。かといってすぐに九州に行くことになるかもしれないし、分からない。ただそれが「今」ではないのだろう。

 最終的に木材は225mm削れていた。ようやく家にかえって、空白のみちだった方面を振り返ると、やけにくっきりした街が見えていた。

山本千愛
Chiaki Yamamoto

1995年群馬県生まれ。2018年群馬大学教育学部美術専攻卒業。

2016年より「12フィートの木材を持ってあるく」というプロジェクトを開始。当初は自分の実感を伴って移動をしたいという理由で、自分ひとりで持ち運べるギリギリの重さや長さのものを探した結果、ホームセンターに売られている12フィートの木材に着手する。長期的に活動を継続する中で、家庭の解散や社会情勢に巻き込まれたり、通りがかりの人の協力を得たり、作者本人の想定し得ないエラーに直面していく。次第に生活と制作が切っても切り離せないものとなっていった。木材を持って歩く際、木材は道で削れていき、歩いた道のりを記録するものとして一役買っている。現在は群馬県から歩いて山口県にたどり着き、滞在している。

持ち歩いた木材、移動の道中を記録した映像や日記、スケッチなどを構成してインスタレーションを展開する。自身が被写体となるため、俯瞰で撮られた写真や映像は、道ゆく人に声をかけられた際に撮影を依頼している。

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空白へとむかうみち[前編]

山本千愛
  • その他

山本千愛は移動を前提とするプロジェクト「12フィートの木材を持ってあるく」を2016年から継続しています。新型コロナウイルスの流行によって、「移動すること」は制限させざるを得ない状況下に置かれました。多くの人々に精神的・物理的な制限がかかる中で、変容した社会と自身の身体のリアリティを探ることをコンセプトに歩き続けています。

山本は、この時に歩くことができなかった「九州までの道のり」を2021年の春に改めて歩き、2020年に起きた出来事とその後の関係を新しく繋ぎ直した作品にしました。オンラインでは歩いた映像の抜粋と、歩きながらつづった日記を、山口市→北九州市の往路と、北九州市→山口市の復路の二回に分けて公開します。

プロローグ

私は2020年の5月より山口県民になった。

 同年の3月に愛知県名古屋市から福岡県北九州市に向かって12フィートの木材を持ちながら徒歩で引っ越しをしていたところ、新型コロナの影響を受け、福岡県で住む当てがなくなった。目的地と帰り道を失った私は、その時滞在していた山口県に住む、という全く想定していなかった選択をする。

 現在山口県の山口市に住んでいる。山口市から福岡県の北九州市までは80km。北九州市へ向かうことを断念して以来、なんとなく、山口市から西に位置する九州方面の道を歩くことができないでいる。山口市で生活しているとき、山口県の東側、私が歩いてきた広島方面は開拓できても、西には足を運べずに1年が過ぎようとしている。九州方面に道が続き、街が存在しているはずなのに、私には先が真っ白の空間のように見える。自分が歩くことを断念した道を易々と開拓できない気がしていた。

 私はこの空白になってしまった北九州市までの道を一年越しに更新したいと思っている。本州の端まで歩き、九州の土地に足を踏み入れてみたい。ただし、今回は引っ越しではなく、また山口市へ戻るつもりである。すでに北九州市は引っ越し先ではなくなっている。まだ新型コロナウイルスの懸念もある。これは2020年春の歩みの焼き直しだ。本州の端と九州の入り口はどんな街なのだろう。まだ見ぬ道への期待を胸に、予定調和にいかなかった2020年に向き合い、考える時間にすべく、今回のプロジェクトに《空白へと向かうみち》と名付けることにした。

[日記:山口→北九州]


空白へとむかうみち

2021年4月19日(月)
晴れ。気温22℃。体温35.8℃。 木材の長さ3660mm 山口県山口市


 「200km以内しか歩かないんだったらこの荷物は多すぎかなあ?」今、山口市でお世話になっている家族に荷物を見せながら話すと、「いや、誰もその荷物が適量かわからんのよ。」という返事が返ってくる。木材を持ち歩き始めて5年、200km以内ならそれなりに歩き慣れてきた。歩き慣れてくると今度は100km〜200km程度の移動における荷物の適量がよく分からなくなってくる。必要最低限の荷物が何か分かっていても、荷物の調整がとても難しい。かといってリュック一つでは収まりきらない。塩梅が難しい。

 そしてここ5年の大きな変化というと、誰も私にアドバイスができなくなってきた。「100km以上200km未満の距離を歩く時の適切な荷物量について」を私以上に詳しく知る人物が周りにいない。昔は私自身も知識がなかったため、いろんな人の「あることないこと」のアドバイスをかき集めることができた。現在では「あなたが分からないことを私たちが知るはずない。」と言われることが増えた。もともと「12フィートの木材を買って、歩き始めさえすれば誰にでもできる」と謳っていたのに。誰も真似しないどころか、私がどんどん経験年数を増やすうちに「誰にもできないこと(やろうと思わないこと)」としてどんどんひとり歩きが進んでしまったように思う。

 私は運動部の経験もないし、スポーツも苦手で、持久力もたいしてない。しかし、そのなかで少しずつ階段状に培ってきた経験が、振り返ってみると「ほとんどの人が一見まねできない領域にいる人」のように見えてしまう。なんだか寂しい。じゃあ私が、アドバイスを話し合えるのは登山家や冒険家の人たちなのだろうか。そんなことはないと思う。私はひたすら補正された道路の上を歩くだけなのだ。それは日常の地続き。自分の生活範囲を超えて移動するだけのこと。日本である限りどの土地にもなんとなく似通った景色が続くことが多い。その代わり、人々の言葉が方言として括られてすこしずつ変化していく。

 80km程度を往復するだけなら、言葉にも土地にもきっと大きな変化はない。経験上そういえるが、この1年間空白になっていた時間と移動を焼き直すことには、気持ちと環境の変化が伴っている。なぜなら、こんなにパンデミックな世の中になると思っていたか?山口に住むと思っていたか?現在の私が見ているものは、あの2020年を経なければ見ることのできなかった光景なのである。

 去年の今頃、不織布の使い捨てマスクは入手困難を極めた。そして若者には感染力がない?と思われていたので、私はマスクを付けずに歩いていた(街全体でマスクを着用する人、そうでない人が当時は半々くらいいた)。今はマスクの流通も行き渡るようになり、「マスクを所有していること」自体がエチケットになった。「財布、携帯、マスク」とお出かけの三本柱になるほどに。私もこの暑さで息苦しくなるものの、マスクを携えている。

 今日は誰にも声をかけられなかった。このあいだまで茶色と深緑色だった山々は、うすい黄緑色の新緑が芽生え、私を迎えいれる。黄砂もほどほどに、目がつんと痛くなりながら歩き続けた。

 居候先の家族がよく行く寿司屋の前を通った。その寿司屋は歩いてみると家から3時間半かかることがわかった。うん、絶対に車で連れてきてもらわない限り自分では行かないなと思った。こういうことを言うと必ず居候先の家族は「なんで歩くことが前提なの」とツッコミを入れてくる。そのツッコミが今日も聞こえたような気がした。



持ち運び方で変わる歩行のふるまい?

2021年4月20日(火)
晴れ。気温22℃。体温36℃。 木材の長さ3660mm 山口県山口市ー山口県宇部市


 新山口を早々に出発し、今日は宇部へと向かう。通勤時間帯のはずの7:30だというのに、全然人とすれ違わない。ひたすらに人がいない。1日1回くらいは平均して話しかけられることもあるが、それはそもそも多くの人通りや車通りがあってのこと。行き交う人の母数が少なければ当然話しかけられる確率もグッと低くなる。

 購入したばかりの木材はまだ角が残っている。新品の木材をずっと前腕部分に木を乗せながら歩いたせいか、右の前腕にアザでもあるかのような痛みがする。今日は右前腕が使えない。旅の2日目は毎度「今回の旅において痛みと付き合ってく必要のある箇所」が炙り出される。今年の2月に山口県の東側を歩いた時は、足の甲の筋を痛めた。そのときの教訓もあって、今回はあらかじめ足にサポーターをつけて歩いている。足首周りに異常はないが、代わりに親指の爪が痛い。前傾に体重が乗っかっているのだろうか、それが靴とぶつかって痛みがする。毎度木材を持って歩く時は、痛みを感じる箇所が変わる。だからこそ荷物や靴をプロジェクトの度に変えて実験している。少しずつ、どんな旅支度が自分に合っているかを知るためにも装備のマイナーチェンジは必要だ。まだまだアップデートの途中である。

 今回は大容量のバックパックひとつで来た。200km程度の距離なら、わざわざ今まで使用していたキャリーにボストンバッグを乗せて、大掛かりに歩く必要はないだろうと思ってのことである。しかし、私はバックパック特有の、背中ひとつで全ての重さを受け切ることに全く慣れていなかった。

 そもそも自分で大容量の荷物を持てないから車輪で運ぼうという発想がキャリーを持ち歩くことになったのだ。キャリーを自分の体全体で引っ張ることを1000km以上やってきたので、それがバックパッカーからみて非効率だとしても、キャリーに対しての身のこなしは慣れている。リュックの重さを体全てで受け切るのと訳が違う。

 重すぎて肩がちぎれそうだと思った。難しい。体が後ろに引っ張られそうになり、姿勢が保てない。かといってこんな前傾姿勢を長時間維持できない気がする。100m歩くごとにリュックを下ろしたくなる。なんだこれ。このままじゃ全然前に進めない。リュックの肩紐を思いきり短くしてみると、体全体に重さが乗っかり、少し安定した。なるほど、なるべく自分の自重と一体化させたほうがいいのか。この感じなら自分に体重が増えたような感覚で歩けばよいなと思った。昨日まで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと荷物の重さに足をとられていたのが収まった。ただ、肩と脇が締め付けられすぎて鬱血しそうになる。調節が難しい。正直これなら、今まで持ち歩き慣れたキャリーの方が全然楽だなと思った。

 キャリースタイルとバックパッカースタイル、それぞれに長短があるのは言うまでもない。キャリーのような車輪付きのものを引っ張る時、それは自分が車椅子やベビーカーを使う人と似たような悩みを常に抱えることになる。階段の負担が大きく、木材を持って1回、荷物を持って1回と往復をしなくてはいけないし、スロープのある場所を探さなくてはいけない。その不便さはある。ただ、車輪を引っ張っているので荷物の荷重をあまり考慮しなくて済む。つまり何かを拾ったり、何かを差し入れにもらったりといった荷物量の変化に悩まされることがほとんどないと言っていい。

 バックパックの場合は、徒歩利用者としての自覚だけでよいので、階段を使って近道することもできるし、Googleマップの健常者のみに向けてしか想定していないのでは?と思うようなありえない道案内にいちいち目くじらを立てることもない。バックパックならコンビニや店に入るときも、荷物の心配をせずに全ての荷物を持ち込んで入店できる。ただ、荷物が重すぎるため、トイレを利用する時のカバンをかけるフックの前でカバンをかける位置の高さに、ウェイトトレーニングをしているかのような苦労がつきまとう。

 今、文字にしてみて改めて、どちらがよいとは一概に言えないと思った。持ち歩く荷物の選択だけで、自分の立ち振る舞いや悩みが変わる。それによって見えてくる情景やその時の感情、直面する悩みに更新があるのは面白いと思った(とはいえ大変なことに変わりはないが)。

 人とすれ違わない道に慣れているはずなのにやけに寂しい。人と会っていないはずなのに今日はやけに神経を使う。人と会っていないはずなのに、なんだか面倒だから人と関わりたくないなとさえ思った。人気がない田園風景に、人がいないことがストレスでもある。かといって歩いている姿を見られて、目立ちたいわけではない、という変な矛盾。そして疲れ果てているはずなのになぜか寝付けない。これは疲れすぎて逆に睡眠時間が短くなる現象なのだろうか。

 今日はやけに脳みそがごちゃごちゃする。脳が情報処理に熱心でなかなかスリープモードにならない。早く眠りたい。


スタンディングオーベーションしたい道/パチパチパチ

2021年4月21日(水)
晴れ。気温26℃。体温36℃。木材の長さ 3660mm 山口県宇部市ー山口県山陽小野田市


 静かな朝だ。しずか。これはコロナだからではなく、たぶん普段から平日のこの時間は静かなのだろう。寝ても寝ても眠くて、今日は大幅に寝坊した。まあそんな日があってもいい。なにか先を急いでいるわけでもないのだから。

 私は昨日と今日でこの宇部が大変気に入ってしまった。なぜかというと、宇部は歩道がとても広いのである。特に踏切に歩道が、あるところすら珍しいのに、その上とても広い。さらに、すぐ一本隣の道にも踏切がある。他の土地では踏切が2〜3kmごとの間隔での設置だったりする。そして私も今まで何度「ああ、あのときあそこで踏切を渡っておけばよかった」と後悔をしたことか。そのくらい線路で遮られた、こちら側とあちら側との道への行き来の不自由さを感じたこと数知れず。それが「どこからでも線路を渡れる、渡り放題」ともなればこの感動は大きい。その場でスタンディングオーベーションでもしたいくらいだ。こんなに歩行者としての多様性を認められることはそうそうない。

 そんなことを少しかいつまんでSNSに投稿した。すると、フォローしてくれている人の1人が「戦後焼け野原になった宇部のまちに、宇部興産がいち早く100m歩道と呼ばれる広い道を港にむけて敷いたと、地元の人に聞いたことがあります。」というコメントを残した。なるほど、戦後の再興として素晴らしい試みだなと思った。歩道だけでなく車道ももちろん広い。街を利用する人の多様性に富んでいる。こういった気遣いが環境デザインとして現れてくるのはなんとも嬉しい。

 さらに歩みを進めていて、びっくりしたのが、国道190号線沿いの長い長い道である。そこを歩いていると違和感に気づいた。あれ、この長い歩道、ずっと点字ブロックが敷かれてるなあ。点字ブロックを必要とする人が長距離を歩けるように想定したということ、これもまた、やった!という気持ちになった。私は交通弱者なのか強者なのかということをよく考える。体力がある、どこまでも歩くという意味では「つわもの」と書いて強者と言える。しかし、木材を持って歩くことで制約も多く、本来普通に歩ける場所でさえ、思うように歩くことがままならないこともある。弱者というよりは、歩行マイノリティとでも言おうか。

 しばらく喜び、興奮していたものの、暑気にやられて思うように歩けない。歩いていて、ため息も出てくる。少し草むらに行けば、汗をかいてることもあって蚊がよってくる。ギャー!と喚きながら蚊を振り払いつつ急いで通り過ぎる。すると足元に何かの死体があってさらにギャー!と飛び上がる。恐る恐る覗くと亀が死んでいた。あたりの惨状を見るに、車に轢かれたらしい。山口では結構野生のカメを見ることがあったが、亀の死体を見るのは初めてだった。ビクビクしながら亀にお辞儀をして通り過ぎた。生き物の生死と直面する機会が多いのも徒歩の特徴である。自転車のスピードでは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

 休憩中に面白い模様の落ち葉を見つけた。あたりにいくつも似たような葉っぱが落ちている。どうやら葉が落ちて雨が降り、その湿り具合の差で色が落ちたところと残ったところに分かれ、模様のようになったようだった。気に入ったものをピックアップして並べてみた。なかなか面白い。持って帰りたいと思ったが、落ち葉は押し花のようにはいかない。ノートに挟んでも、もともと乾燥しているので、挟んだ先からパラパラと崩れてしまう。一応何枚かノートにそっと挟んだ。

 こうやって少し気を紛らわせながら歩いていると、どんどんお腹が空いてきた。食べたものがすぐエネルギー源として、歩くパフォーマンスに直結するので、人間も車と変わらない燃料の入れ物なのではないか、というのを感じる。咄嗟に入ったファミレスで、冷えたおしぼりにホッとしながらアイスクリームを注文した。身体が熱を帯びたら冷やす。それだけで少し冷静になれる。人間もPCや機械と対して変わらないなと思った。
 西は日が暮れるのが遅い。まだ17時でも明るく、関東で言ったら7・8月の夕暮れぐらいだ。ぺろりと平らげたカロリーは、歩くエネルギーよりも、眠るのに必要な体力に溶けていった。


歪む景色と鎮座する荷物

2021年4月22日(木)
晴れ。気温27℃。体温36.2℃。木材の長さ 3660mm 山口県山陽小野田市ー山口県下関市


 今、疲れすぎて眠い目を擦りながらこの文章を書いている。

 昨日の暑さに懲りたので、少し朝早く出発することにした。朝は風がひんやりして気持ちがいい。ずっとこの気温ならいいのになと思う。そう思ったのも束の間で、7:30には太陽がジリジリと照り付け始めた。早いよ。

 すれ違いざまの中学生が何人か私に向かって会釈をした。知らない他人に会釈をするのってすごいよなあ、と感心する。学校の生活指導で「地域の人に挨拶を」と、先生が言うのを本当に守って実行している中学生がいるなんて。それにしても挨拶する人を選ばないなんて、さらに頭が下がる。マスクにサングラス、そして長い木の棒を持った人には会釈しなくたっていいのに。むしろ身の危険を感じて距離を取ってもいいのに。いや、それだと自分が変な人だと認めるようでなんだか癪でもある。こんなことをしているくせに実は目立ちたくない。私も会釈をして、暴れたりしないですよ、という素知らぬ顔で足早に立ち去った。

 コンビニの脇で休憩を取る。このバックパックの装備は重すぎて200mに一回ぐらいのペースでバックパックをおろさないとやっていられない。こんな非効率なことあるか、と心の中でイライラしながらスポーツドリンクを飲む。急に前からおばあさんがにゅっと出てきた。「あなた、そんな荷物持ってどこ行くんですか。」「関門橋のほうです。」「ああそうですか、どこからいらしてるの?」「山口市です。」「ああ、そう、がんばりなさってね。」と激励をもらった。おばあさんはバトミントンケースらしきものを手にしていた。まだバックパックを背負う気にならないので座ってぐずぐずしていると、さっきのお婆さんがまた現れた。「これ。よかったら。」と、おにぎりとお茶を差し入れしてくれた。「え、いいんですか。ありがとうございます。」ここのところずっと誰にも話しかけられず、山口、宇部、山陽小野田と進んでいたのでやけに嬉しかった。こうやって人の恩に預かったらやはり歩くしかないと、自分を奮い立たせた。

 目の前には陽炎がでている。「溶けちゃうよー!滅ぼす気かー!」と声を出してみるも、誰に届くわけもなく、虚しく車のエンジン音に消えた。

 市街地に入り、200mおきぐらいに休んでいると、白いエプロンを来た中年の女性が声をかけてきた。「その木なあに?」私は、暑いので顎に留めていたマスクを慌てて口元に当て、怖くないようにサングラスを外して、「これを持ってずっと歩いているんですよ。」と答えた。するとご婦人は「え!女の人だったの?」とびっくりした様子だった。この木材を持って歩いていると、それなりの確率で性別を間違えられることがある。そして間違えた人たちは「女の子がいったいなぜ」というようなリアクションを取る。女だからということに理由はない。少し説明すると「まあ、そういう人もいるのねえ。さっきそこで何人かの人たちと、あの人あんなもの持ってなにしようとしてるんだろう、って喋ってたのよ。」と言われた。やはり複数人で私を目撃すると、私のことについてなにか言葉を交わすんだなあ、と感心した。そして、訝しげに思った後に、本人に話しかけてみるとは、この人は度胸があるな、と思った。せっかくなのでカメラのシャッターを切ってもらうことにする。彼女は爪を長く伸ばしていて、ピンクのネイルに花の模様をあしらっていた。彼女は「爪が長いから、ちゃんとシャッターが押せないわね。」と何回か強くボタンを押した。「ちょっとその木持ってみてもいい?」と言い、彼女は木材を少し持って「想像以上に重ーい!」と驚きまじりに声をあげた。その後お礼を言って別れた。

 下関に入ると、今までの道中で見てきた山より、山が小ぶりになったように見えた。

私は長く歩いていることと、炎天下でイライラしていることもあってか、歩行者を想定せずに、「とりあえず作っただけ」のような作りの道にひどく憤慨した。なぜか陸橋を歩道だけが上がって下がってを繰り返す。車は真っ直ぐ平坦に走れるのに、歩行者だけがアップダウンになり、階段になり、迂回させられる。同じ距離でも、とても時間がかかる。

 道の途中で噂に聞いていた貝汁のおいしいドライブインに入って貝汁を飲んでみた。お椀に山盛りのアサリが入っている。貝の出汁とミネラルが、汗だくの体にやけに優しくて力強く染みわたった。



あと2cmの

2021年4月23日(金)
曇り。気温20℃。体温36.0℃。木材の長さ3660mm 山口県下関市ー福岡県北九州市


 今日は日が翳っていて、風も強く吹いていた。気温が昨日と6℃も違う。6℃違えばこんなに快適に過ごせるのかと驚く。昨日がこんな気候ならもっと楽だったのになあと思いながらサングラスを外した。いよいよ本州の一番端に着き、そして九州へと降り立つことが出来る。2019年に群馬から少しずつ西へ歩いてきて、そしてまさか本州の端まで歩くことができるなんて。感慨深い。20歳の頃の私に「5年後君は歩いて本州の端に辿り着いてるんだぜ?」と言ったらどんな反応をするだろう。まだ木材は完全に角が削れきれていないので長辺は12フィートのままである。

 道が開けて海が広がった。海沿いを歩く。潮のにおいが鼻に運ばれる。時々貨物船がボーッと音を立てる。海沿いは景色が良いこともあってか、ランニングしている人にたびたびすれ違った。

 そのうちの1人に探検隊が被るような(ピスヘルメットというらしい)帽子を被り、首に手ぬぐい、半ズボンを履いたおじいさんが笑い混じりに「こんにちは」と言って私を追い抜かしていった。またしばらくすると先程のおじいさんが前からやってきた。どうやら復路のようである。

 するとすれ違いざまに「それ、時代が時代なら凶器準備集合罪で捕まるよ。」と言われた。どういうことか聞くと、おじいさんは学生運動真っ只中の世代で、その運動に参加をしていたとのことである。ラーメン屋のテレビで三島由紀夫の檄をとばした演説を聞いたり、大怪我をした友人のこと、次第に怖くなって逃げようとしたことなどを話してくれた。そのおじいさんは終始ニコニコしていて、怖い雰囲気などは感じなかった。「君のそれ(木材)をみて急にふと走馬灯みたいに当時のことを思い出したんだよ、もうしばらく思い出してもいなかったのに。今日はきっと夜まで当時のことを思い出しちゃうだろうな。」と言われた。

 私はたまに「キリストの十字架?」とか「学生運動?」と言われることがあったが、その当事者の人に会うとは。私の木材が人の記憶を呼び起こしたみたいである。おじいさんと別れ、関門橋を目指して歩く。

 そしてすこし緊張の面持ちで関門トンネルの入り口に来た。まず関門トンネルについて説明すると、本州と九州を歩いて渡りたい場合、この「関門トンネル」以外に方法はない。「関門橋」という本州と九州をつなぐ橋は、車専用の道路になっており、「関門トンネル」は地下に作られた歩道である。一応自転車と原付も手押しであれば通ることが出来る。そしてこの地下道である「関門トンネル」にいくためにはエレベーターを使うしかない。

 そう、そして問題はここからだ。このエレベーターに木材が載るかどうか。北九州に行けるかどうかに関わってくる。しかし12フィートは3660mm。角は削れていてもまだ長辺に変化はない。普通のエレベーターだと大体高さは2.5mぐらいなのでそもそも12フィートは入らない。ただ、関門トンネルのエレベーターは大きいと聞いていたので、それに賭けてみた。どうだろう。

 周りに人がいると迷惑になったり、不振がられたりするかもしれないので、あたりに人がいなくなるのを待った。そして恐る恐る「下へ」のボタンを押す。エレベーターのドアは開き、思ったよりも幅が広く感じた。一気に木材を斜めに起こして入れ込む。む。あ。やはり詰まる。エレベーターは自動で閉まり、木材が引っかかってガタンという音を立ててドアが再び開いた。難しい。というかこれを1人でやるにはかなりテクニックが必要だと思った。

 何度か悪戦苦闘したあと、恐る恐る管理人のいる窓口に近づき、エレベーター以外の方法で下のトンネルまで下れるか尋ねてみた。怒られるかな、追い返されるかな、とドキドキしていた(私は過去にレインボーブリッジで追い返された経験がある)。すると係のおじさんは、「どうやろね、もう一回やってみましょうか。」と木材をエレベーターに入れるのを手伝ってくれた。

 おお!なんとか入った!ギリギリでドアも閉まる。やった!「ありがとうございます!」意気揚々と地下まで下りていく。そして地下道へのドアが開いた。

 が。しかしである。エレベーター内の対角いっぱいいっぱいに入れた木材は、後ろに引くリーチが残されていなかったため、ドアから地下道にむかって木材を出すことができずにつっかえてしまった。なんと、エレベーターのドアは、先ほど入った入り口と反対のドアから開く仕様になっていたのだ。うそ!!!????つっかえて木材を取り回すことができない。

 そしてじたばた動かしてみるも、変わらずつっかえたままだった。虚しく一度も地下道に降りることなく、再び地上へと上がってきた。目分量であと2cm!あと2cmこの木が短かったら反対方面に開くドアに木材を取り回せただろう。なんてこった。地上に上がってエレベーターから木材を引き摺り出すと、先程の係の人が「あれ?降りれませんでした?」とやってきた。事情を話し、その係の人と再びチャレンジするもやはりあと2cmでつっかえてしまう。「あーこりゃだめですね。」

 私はゾッとした。あと2cm木材を削るためには、経験上20kmは歩かなくてはいけない。そして今回私は、この関門トンネルを越えた先にある北九州で宿をとってしまったのだ。「なんとかなりませんかね?」と係の人に泣きつくと、「うーん、この先にね、下関と北九州をつなぐ連絡船があるんですよ。その船が木材を載せてくれるのであれば、船だから。きっと木材は余裕で載ると思いますよ。」と言い、連絡船までの地図をくれた。係の人にお礼を言い、急いで連絡船に向かう。

 もし連絡船が載せてくれなかったら、この下関で急いで20km歩いてもう一度関門トンネルにチャレンジするか……?でもこの時間からだと……。一度木材をどこかに隠して、自分の身だけ一旦北九州に行って、一泊してまた戻ってくるか?いろんな事態を一度に想定した。

 そして連絡船のある「唐戸市場」と呼ばれる磯の名産なども食べられる観光地らしきところに着く。観光には一つも目もくれず、船着場近くの券売所に入った。「あの、人以外のものも船に載せることはできますか?木材なんですけど。」「えーと、手で運べるものですかね?みてもいいですか?」と言われ、外においた木材をみせると「大丈夫ですよ。」と返ってきた。やった!やった!よかった……。

 連絡船に木材を運ぶ。そして船着場の人が、ひょいと木材を船に入れてくれた。時速18kmで船は走る。甲板に出ると風をもろに受けて、とても早く感じる。そして水飛沫が顔に飛んでくる。寒いくらいだ。ものの5分であっという間に北九州に着いてしまった。

 木材と一緒に移動できたのだから御の字……のはずなのになんだか物足りない気持ちになる。果たしてこれでよかったのだろうか。私が埋めたかった空白のみち。2020年に歩きたかったはずの山口ー北九州間を歩いたことになるんだろうか。

 よし、かえりは絶対に関門トンネルを通って、歩いて本州に戻ろう。

 そのためには木材がエレベーターに載る必要がある。少なくとも2cm、余裕を持って4cmは削らないといけない。今日は幸いにも平日だったから、スムーズに船にも乗れたし、エレベーターにもチャレンジできた。きっとここからの土日にそこまでの融通は効かないだろう。平日に関門トンネルにチャレンジするとして、この土日は木材を削るために歩こう。

 今まで木材が削られるのは結果としての副産物であったが、木材を削るために歩くのは初めてである。逆転現象が起きた。よし、やるしかない。歩いて本州にかえるぞ。


山本千愛
Chiaki Yamamoto

1995年群馬県生まれ。2018年群馬大学教育学部美術専攻卒業。

2016年より「12フィートの木材を持ってあるく」というプロジェクトを開始。当初は自分の実感を伴って移動をしたいという理由で、自分ひとりで持ち運べるギリギリの重さや長さのものを探した結果、ホームセンターに売られている12フィートの木材に着手する。長期的に活動を継続する中で、家庭の解散や社会情勢に巻き込まれたり、通りがかりの人の協力を得たり、作者本人の想定し得ないエラーに直面していく。次第に生活と制作が切っても切り離せないものとなっていった。木材を持って歩く際、木材は道で削れていき、歩いた道のりを記録するものとして一役買っている。現在は群馬県から歩いて山口県にたどり着き、滞在している。

持ち歩いた木材、移動の道中を記録した映像や日記、スケッチなどを構成してインスタレーションを展開する。自身が被写体となるため、俯瞰で撮られた写真や映像は、道ゆく人に声をかけられた際に撮影を依頼している。

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